新緑の癒し手
彼の目の前に出現した物は、小さい墓石。この墓石も長年の風雨に晒された結果、至る箇所が削れてしまっている。また墓石を撫でるように伸びる蔦が絡まり、刻まれている文字の一部分を隠していた。
若者は墓石の前で片膝を付くと、墓石に積もっていた土埃を丁寧に払い落とし綺麗にしていく。それにより土埃によって隠されていた、墓の下に眠る人物の名前が明らかになった。
誰もが、この名前を知っている。
しかし若者以外、訪れる者はいない。
「再び、巫女が……」
だが、言葉は最後まで紡がれることはなかった。この墓場の下に眠っているのは、癒しの巫女と呼ばれていた女性であり若者の母親。癒しの巫女は多くの人間の尊敬と敬愛を一身に受ける存在であるが、若者の母親は違っていた。
何故なら次代の巫女を産むことができず異性である男子を出産してしまい、巫女の血を絶やすという罪深い行いをしてしまった。
結果、若者の母親は神殿の裏手に追い遣られた。
散々、利用しておいて。
最後は、これか――
脳裏に神官達の顔が思い浮かんだ瞬間、身体の一部分が疼き出す。若者は身体を丸めると、疼き出した身体を治めようとするが、なかなか疼きが治まらない。それどころか、額に脂汗が滲み出す。
「……母さん」
時間の経過と共に身体を襲う疼きが治まってきたのか、外套の袖口で額に滲み出る汗を脱ぐと長く伸びた草の上に腰を下ろすと墓石に刻まれた名前に視線を向け、自身の意思を示す。
「約束は守ります」
若者が母親と交わした約束というのは、再び巫女がこの世界に誕生した時、新しい巫女を見守ってほしいというもの。自分の二の舞を踏んでほしくないという気持ちと、巫女の生活は孤独が付き纏うので一人でもいいから巫女の心情を理解できるものが、話し相手になってほしいというものだった。
それは、母親が死ぬ時にかわした約束。
今、それを果たす時が来た。
「また、来ます」
疼きが完全に納まると立ち上がり、外套に付いた葉を払っていく。全て綺麗に払い終えると、墓石に向かい軽く頭を垂れると踵を返す。そして下草を踏み締め神殿へ戻ると相変わらず騒々しかったが、若者の目の前を行き交う人々の表情は何処か晴れやかなものであった。