新緑の癒し手
両者は、決して相容れぬ関係。それを忘れては今の仕事は勤まらず、互いが同じ位置に立てば必ず弊害が生まれてしまう。だからダレスが数歩後ろに下がり、彼女を支えていかなければいけない。
それが背負った使命であり、役割というもの。しかし、ふとした時に微かな疑問が生じるのはダレスの変化が生まれた証拠。そのことに気付いているのは、ダレス本人と友人のヘルバだけ。
だからヘルバはダレスの頼みを快く受け入れ、彼の身に訪れる出来事に付いて心配する。その日を無事に迎え、何事もなく過ぎ去ることを――だが、運命は時として誰も予期できない思わぬ方向に動いてしまうもの。まるで、運命を司る女神が悪戯をしているかのように。
◇◆◇◆◇◆
貴方にとって、何が重要?
何を守りたい?
そのように尋ねた場合、セインが第一声に発するのは「自身の自由」という何者にも束縛されない環境だった。そもそも欲望に忠実に生きるセインが、女神に仕える神官を目指すのが間違っていた。
神官は「品行方正」の鏡のような職業であり奉仕を美徳としているが、それは昔の神官が行っていたことで今は権力に溺れてしまっている者も多い。その代表格が、セインの父親だ。
職業選択の自由という言葉も存在するが、代々神官を輩出する家系に産まれた時点で「職業の選択の自由」という言葉は除外される。そして幼い時から神官を目指し勉強に勤しみ見習いの神官として神殿で働くが、本来持つ内なる一面が抑えられるわけがなく、娼館通いを続ける。
フィーナの結婚相手ということで「品行方正」の名の下で娼館に通うことを禁止されたが、禁止事項が解除された途端、セインは周囲に目もくれず一目散に娼館に向かうのだった。
そして――
いつものように、彼は動く。
それについてサニアを含め、多くの娼婦が嘆く。
汚い言い方をすれば、娼婦はセインにとっていい遊び道具。相手をひとつの人格を有する人間と見ておらず、己を受け入れてくれればそれでいいと考えていた。だから相手がどうなっても構わず、遊び続ける。しかしそれでは一人の人間の肉体と精神面を破壊し廃人にしてしまうので、寸前のところで娼館の女主人サニアに止められ「これで終わり」と、注意を受ける。