チョコレートコスモス・アイズ
「今度の目当ては何だよ」


「えっと……」


絵美が珍しくもじもじする。涼は思わず卵焼きを箸から落としてしまった。いつもの絵美なら、「ああ、お義母様の卵焼き!」と、誤解されそうな発言をぽんぽんとしてのけるが、今日は違った。


「何だよ、気持ち悪いな。はっきり言ってくれよ」


「あの、国武くん、これ!」


意を決したように、絵美が小さな紙包みを差し出してきた。ペールグリーンの爽やかな色の紙包みに、かわいらしいピンクのハートを象ったシール。ハートの中にはご丁寧に"Love"という言葉が、ポップな書体で印刷されている。


そう、今日はバレンタインだ。涼ももちろん知っていたが、容易に見抜けるはずなのに、絵美がチョコを持ってくることを、なぜ予想できなかったのだろう。


「高柳、お前、俺が誰を好きか知ってるだろう」


「知ってるわよ。でも、私だって国武くんを好きなんだから、チョコを渡したいの!受け取ってくれたら、情報あげるわよ」


絵美は顔を赤くして、ふいとそっぽを向きながらも、手は涼にチョコを渡そうとしている。そう、こういうところが、絵美と涼は似ている。お互いに、相手に振り向いてもらえない恋をしているところが……。


「情報の内容による」


「はいはい。実は、これは内密の内密なんだけど、吉川先生、寿退職らしいわよ。来月結婚するんだって。それでね―」


結婚。涼は、もう一度絵美の言葉を頭の中で繰り返した。キッカが、結婚―。それは、もちろん妙齢の女性なのだから、結婚してもおかしくはない。しかしキッカが結婚してしまったら、もう今までのようにアプローチできない。何しろ、人妻なのだから。涼は、自分の結婚願望が薄いのもあり、キッカが結婚するかもしれない、などと考えたことがなかった。そして、見捨てられたように感じた。


ただの生徒、それだけよ。キッカが、涼の頭の中で、花の瞳を揺らしながら笑った。


キッカのチョコレートコスモスの瞳を、もう一度見たい。俺だけを映すように。


「高柳、チョコはちょっと待ってくれ。俺、吉川先生に確かめる。それからの話だ」


「え、ちょっと、これは内密の話で―」


絵美があわてて言いかけたとき、教室の引き戸が開いて数学の教師が入ってきた。絵美は、不満そうに席に戻っていった。


涼は手を挙げた。


「先生。ちょっと具合が悪いので、保健室に行ってきます」


教師は、数式の説明をしながら、軽くうなずいた。涼は教室をそっと出た。絵美の、後悔を込めた泣きそうな視線を浴びながら。
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