kuro
「久しぶり...。」
きちんと別れたから確かに
こういう風に会っても声をかけるのかもしれない。
けれど、驚いたのは
私の心境だ。
彼は.....こんなだったろうか。
当時好きだった彼のカジュアルな装いも、私と変わらない背丈も、男性にしては高めの声も。
何万回も視界に納めていた筈なのに
ぼやけて見えた。
「光。」
名前を呼ばれてびくりとする。
そうだ。
私......くろに名前すら教えてなかった。
くろも、聞いてこなかった。
まず始めにするようなことを、
してなかったのだ。
やはり私はそんな程度の存在だったのだろう。
ザクザクと切り裂くような痛みがして、思わず指輪を握りしめる。
すると彼はビックリした顔を私に向けた。
「大丈夫か?!
物凄い顔色悪いけど...」
「大丈夫.....」
「そんなわけ.....俺が話しかけたからか?
」
「違う。」
それは違う。
「でも。」
「違うからっ。」
違うのに、感情が抑えられない。
少し震えもする。
自分でもどうしたら良いかわからない。
「....分かった。でも、家まで送るよ。
送らせて?」
私が返事を聞く前に彼は私をお会計の列から引っ張り出し、さっさと店を出るとタクシーに乗せた。
その間肩を軽く支えられる。
この行為に安心もときめきも感じていない自分がいる。
きっと半年前なら、安らぎを覚えていたことだろうに。
こうして肩を預けた記憶も忘れていた。
今、思い出として私の頭に蘇るのを
ただただ受け流した。
「何か、懐かしいね。」
彼が呟く。
私はうなずいた。
そして、家の前にタクシーが止まる。
彼は降りなかった。
私も、それが自然であると思えた。
「ありがとう。」
タクシー越しに伝えると彼は
目を少し見開いて
それからすっと目を細めた。
あぁ、この顔が私は好きだった。
久しぶりに、見れた。
心の中をすーっと1つ落ちてスッキリしていくのを感じた。
そして。
彼が見えなくなるまで手を降って
本当の本当に「さよなら」をしたのだった。