檻の中
「さて……。貴様には、まだ名前がなかったな」
イシザキが腕を組み、わたしをじっと見つめる。
「えっ……。あの、わたしの名前は長澤萌ですけど」
「寝惚けたことをほざくな。俺が買った時点で、出生名は棄却された。貴様の新しい名前は、俺が決めてやる」
唇の片端をつり上げると、イシザキは考えるように天を仰いだ。
変な名前だったら嫌だな……。
イシザキの喉仏を見つめながら、わたしはぼんやりと立ち尽くした。
「──ジュリエット」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
イシザキが真顔でわたしを見据えている。
「貴様の名前だ。ジュリエット……。悪くないだろ?」
「はぁ……」
困惑気味に頷くわたしを見て、イシザキは黒い携帯電話を取り出した。
「ジュリエットと言えば、ロミオだな。貴様のロミオは今どうしているか……知りたいか?」
「裕太のこと……? お願い、会わせて!」
「俺に触るなと忠告したはずだ」
思わず手を伸ばして彼のジャケットを掴むと、左手に鋭い痛みが走った。
慌てて見ると、手の甲に長い針が刺さっていた。
あまりに早業で、刺されたことにも気づかなかった。
「これが毒針だったら貴様は死んでいる。肝に銘じておけ」
わたしの手から針を抜きながら、イシザキは低い声で言い放った。
ぷっくりとした血の玉が皮膚に浮かび上がる。
「……イシザキだ。例のブツを持って来い」
どこかに電話をかけると、イシザキは煙草を吸い始めた。
わたしは立ち上る紫煙を見つめながら、裕太との再会を切に願っていた。