檻の中



「さて……。貴様には、まだ名前がなかったな」


 イシザキが腕を組み、わたしをじっと見つめる。



「えっ……。あの、わたしの名前は長澤萌ですけど」


「寝惚けたことをほざくな。俺が買った時点で、出生名は棄却された。貴様の新しい名前は、俺が決めてやる」


 唇の片端をつり上げると、イシザキは考えるように天を仰いだ。


 変な名前だったら嫌だな……。


 イシザキの喉仏を見つめながら、わたしはぼんやりと立ち尽くした。



「──ジュリエット」


 
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 イシザキが真顔でわたしを見据えている。



「貴様の名前だ。ジュリエット……。悪くないだろ?」


「はぁ……」


 困惑気味に頷くわたしを見て、イシザキは黒い携帯電話を取り出した。



「ジュリエットと言えば、ロミオだな。貴様のロミオは今どうしているか……知りたいか?」


「裕太のこと……? お願い、会わせて!」


「俺に触るなと忠告したはずだ」


 思わず手を伸ばして彼のジャケットを掴むと、左手に鋭い痛みが走った。


 慌てて見ると、手の甲に長い針が刺さっていた。


 あまりに早業で、刺されたことにも気づかなかった。



「これが毒針だったら貴様は死んでいる。肝に銘じておけ」


 わたしの手から針を抜きながら、イシザキは低い声で言い放った。


 ぷっくりとした血の玉が皮膚に浮かび上がる。



「……イシザキだ。例のブツを持って来い」


 どこかに電話をかけると、イシザキは煙草を吸い始めた。


 わたしは立ち上る紫煙を見つめながら、裕太との再会を切に願っていた。





< 34 / 148 >

この作品をシェア

pagetop