檻の中
大きな薔薇の花束が視界を遮っているせいで、訪問者の顔は全く見えなかった。
黒いスーツを着用した、細身の男であることしか分からない。
『チャイムが鳴っても扉を開けるな』
イシザキの言葉を思い出し、わたしは返事をしようか迷っていた。
コンコン──扉をノックする音が響く。
「ジュリエットお嬢様……。私、伴(バン)と申します。お祝いの花束をお持ちしましたので、受け取って頂けませんでしょうか?」
低く柔らかい美声が扉越しに聞こえてくる。
執事のような丁寧な口調に、わたしは心が傾きそうになった。
イシザキより優しそうな感じの人……。
でも、お祝いって何のこと?
「あ、あの……。ごめんなさい。イシザキさんに、扉を開けるなと言われているので」
今すぐ扉を開けて助けを求める自分の姿を想像しながら、わたしは思わず返事をしていた。
やや間を置いた後、伴と名乗る男がため息混じりの笑い声を小さく漏らした。
「それは仕方がありませんね。ご主人の命令は、貴女にとって絶対でしょうから……。では、いつかお会いできる日を楽しみにしております」
そう言い残し、伴は扉の前から姿を消した。
意外とあっさり引き下がったので、拍子抜けしてしまう。
紳士的な客もいるんだな……と思いかけて、わたしは自分の単純さに閉口した。
地下売買に関わっている時点で、本当の紳士であるはずがないのだ。
どうせ仮面を被っているに違いない。
「誰も信じられない……信じたらダメ」
わたしは自分に言い聞かせるように小さく呟くと、空っぽになった胃を落ち着かせるために食パンをちぎって食べた。