檻の中



『……はい、長澤です』


 数コールの後、元気のない女性の声が応答した。


 ちょっと待って……。長澤って言った?


 久しぶりに耳にする母の声に、ギュッと胸が締めつけられた。



「ママ……!」


 やっとの思いでそれだけ叫ぶ。


 携帯をかざしながら、ミスターBが楽しむような目でわたしを見つめていた。


 やや間があって、息を飲む音が聞こえた。



『萌……? 萌なの!?』


 わたしの声が届いたのだと思うと、嬉しさと切なさで涙が込み上げてきた。



「そうだよ……。ママ、わたし無事だから心配しないで」


『良かったわ。どこにいるの? 裕太くんとは一緒なの──』


 プツッ……ツーツー。


 通話が途切れたことを知らせる音が虚しく響いた。


 ミスターBが携帯をしまいながら笑う。



『ちょっとサービスし過ぎてしまいましたね。イシザキ氏には内緒ですよ?』


 その言葉に一瞬で気が重くなった。


 今のわたしは、イシザキの支配下にあるのだと言うことを忘れかけていた。



「監視カメラがあるけど……」


『あぁ、それは心配には及びません。職員にチップを弾めば、一時的に停止してくれます』


 つまり、今は作動していないと言うことなのだろう。


 そんな簡単なトリックで、イシザキの目を欺けるとは思えないが……。



『イシザキ氏は多忙な方ですから、監視カメラの記録を分刻みではチェックしませんよ。貴女さえ黙っていれば安泰です』


 人さし指を唇に当てながら、ミスターBは巧みな話術でわたしを誘導する。


 母親の声を聞いてから、心が傾き始めていた。


 イシザキを裏切ったら恐ろしいことになると分かっているのに……。



『お母様とお話したくはありませんか? そうですね……今度は三十秒の猶予をあげます』


 その提案はとても魅力的だった。


 でも……きっと裏があるに違いない。


 わたしは目の前の男に対して、警戒心を解いてはいなかった。



『ただし、条件があります。部屋から出て私の前で話をすること』


 やっぱり……。


 微笑むミスターBを見て、わたしは小さく息を飲んだ。
 
 

 ……どうする?


 イシザキを選ぶか、家族との電話を選ぶか。


 わたしは必死に頭を働かせた。


 三十秒もあれば、誘拐のいきさつや地下売買の話をすることが出来る。


 しかし、ミスターBの罠である可能性も考えられた。



『さぁ、どうしますか? 時間がありませんよ、ジュリエット嬢。……さぁ、早く』


 落ち着いた柔らかい口調で急き立てられ、わたしは催眠術にかけられたように椅子から立ち上がった。






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