りんどう珈琲丸
「はい。だいたい3ヶ月ここにいます。すぐそこの国道で始まった道路工事の仕事でタケオカに来ました。いまは会社が借りてくれている近くの古いアパートに住んでいます。ここに来る前はアビコという町に半年いました」
「竹岡にはなにもないでしょう」
「はい。でも海がありますね。わたしは海のある町に住んだことがないからとても嬉しいです」
「また来てください」
「ありがとうございます。わたしの名前はハサン。パキスタンから来ました。火曜日は工事が休みですから、また来ます。平日も5時には仕事は終わります。わたしは珈琲のことはぜんぜん詳しくないけど、マスターの淹れる珈琲はとてもおいしいです」
「それはよかった」
 そういうとマスターはわたしのこともハサンに紹介してくれる。
「ヒイラギ。不思議な名前ね。どういう意味ですか」
「柊は花です。ギザギザの葉っぱがついた、白い花です」
「素敵ですね。ヒイラギ、また会いましょう」


 ハサンが帰った後のテーブルは、食器を下げるだけできれいになってしまうほど整然としている。椅子まで元のように戻してある。いろんな人がここに来て、いろんな帰り方をしていく。ハサンのようにきれいに帰っていく人もいれば、ものすごく乱雑なテーブルもある。きっとハサンは几帳面で丁寧な性格なんだろうと思う。
 わたしはハサンの座っていたソファに座って、窓の外を見る。狭い路地の道の向こう側には首くらいの高さのブロック塀があり、その足下の草むらには百日草が咲いていた。


「ねえマスター。ハサン、手紙書いてたね」
 窓際の席に座ったまま、わたしはカウンターの向こうのマスターに話しかける。マスターは洗い終わった食器を拭いて棚に戻している。
「ああ」
「手紙なんて、いまどき誰に書いてるんだろう?」
「ひいは手紙を書いたことがないのか?」
「そんなことないけど。中学のときのバレンタインとか、年賀状とか。それに今はメールとかラインだってあるし」
「そうか。でも紙に自分で書いた字じゃないと伝わらない種類の気持ちがあるだろ? ポストに入れて誰かに届けてもらわないと伝わらないものもある」
「マスターは手紙を書いたことがあるの?」
「もちろんある」
「誰に手紙を書くの?」
「手紙を書く相手というのは、いつも大事な人だ」
「ふーん」

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