りんどう珈琲丸
「ハサンはきっと知らないと思うけど、90年代はじめのアメリカにニルヴァーナっていうバンドがあった。そこで歌を歌っていたカート・コバーンっていう男は、悪魔と取引したみたいにいつもナーヴァスで、でも宗教みたいに人の心に響く歌を歌ってたよ。でも彼は27歳で死んだ。クスリにまみれて、最後はピストルで自分の頭を撃ち抜いちまった。ジミヘンもブライアン・ジョーンズもジム・モリソンも、みんな27歳で死んだ。ヘロインのオーバードーズ。エイミー・ワインハウスもこのあいだ死んだ。やっぱり27歳だった。みんなハサンと同じ年だ。素晴らしいミュージシャンたちだった。でも俺から言わせればすごい音楽を生み出した人はみんなすぐに死んでしまった。彼らは確かに俺たちが生きる意味を示唆して、教えてくれるんじゃないかと思わせてくれるような歌を歌ってた。でもそれでも自分が生きる意味は見つけられなかったんだ。ハサンがさっき言ったようにね。きっと心の中はいつまでもからっぽだったんだ。もっと愛したかったし、もっと愛されたかったんだ。誰かの痛みを引き受けてくれる薬のように奇跡みたいな音楽を作って、誰かの心を撃ち抜くようなぶっ飛んだ歌を歌いながら、最後は自分が薬に浸かって自分の頭を撃ち抜いちまった」
「からっぽだった…」
「ああ。みんなからっぽだ。みんな生きる意味を探してたんだ。でも見つからなかった。俺にはあんな才能はないからどんな気分かわからない。だけどそれが見つからなかったから苦しくて死ぬしかなかったのか? 俺はそれは違うと思う。デヴィッド・ボウイはこのあいだ66歳になったけど新しい歌を歌ったよ。今でも生きる意味を探してるんだ。まだ見つかっていないからこそ、あんな美しい歌が生まれるんだ。俺は今37歳だけどそのカケラも見つかる気配がない。歌も歌えない。でもいちばん大事なのは生きる意味を探すことじゃないと思う。大事なのはからっぽでも生き続けることだ。俺もハサンも、そのからっぽを抱えて生きていくしかないんだ。そしてそのからっぽの中に俺たちは人生の美しさを見つけていくしかないんだと思う。もしひとつでもハサンが生きる意味がほしいなら、それはお母さんだ。ハサンが死んでお母さんが悲しむのなら、少なくともそれはハサンが生きる意味のひとつなんだと俺は思う」

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