りんどう珈琲丸
「須田さんは、少し無気力なんです。それが適切な表現かわかりませんが。奥さまが亡くなられたショックもあるでしょうし、息子さんたちが自分を施設に入れようとしたことも少なからずショックだったんだと思います。実際息子さんも娘さんもほとんど竹岡には帰ってきません。だからわたしは須田さんに家族のように思ってもらえるように、ここに通っています。介護の仕事は、そういう仕事なんです。介護することだけが仕事じゃない。わたしは須田さんに少しでも元気になってもらいたいんです」
「そうですか」

「実は須田さんはとっても珈琲が好きなんです。わたしたちはよく2人で珈琲を淹れて飲むんです。それから須田さんは音楽も好きで、この間ここでかかっていたCDも家にあるんです。あのピアノの…」
「ビリー・ジョエル」
 わたしが横から口を出す。
「それです。須田さんの家にはピアノがあるんです。昔はよく本人が弾いていたみたいなんですけど、今は全く触ろうとしません。CDもたくさんあるんですけど、今はまったくかけません。さっきも言ったように、須田さんはすごく無気力なんです。すべてをを諦めているように僕には見えます。だからたまにはこういうところに来て、音楽を聴いて、おいしい珈琲を飲ませてあげたいんです」

「そうですか。それならぜひ今度は一緒に来てください」
「はい。ありがとうございます。僕の父は僕が小さい頃に死にました。生きていたら今の須田さんくらいの年です。だから須田さんは父みたいに思えるのかもしれません。須田さんは仕事が終わると、帰りに僕にいつもお金をくれるんです。本当はそういうの受け取ったらいけないんですけど。毎回これで晩飯でも食えって、内緒で1000円とか3000円とかくれるんです。その日の体調や気分でほとんど会話をしない日だったとしても、それは必ず」

「すいません。いきなりこんなに話してしまって。…つい。ありがとうございました。こんな時間だ。急いで事務所に戻らなきゃ」
「こんな時間からまだ仕事ですか?」
「はい。事務所はグループホームも持っていて、僕は基本的にはそこで働いているんです。だから戻ってまだまだ仕事があるんです。介護の仕事は、いつも人手不足ですから。申し遅れました。僕は瀬川って言います」


「ねえマスター、どうして東京の息子さんが帰って来てその須田さんって人の面倒をみないのかな?」
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