りんどう珈琲丸
瀬川さんが帰った誰もいないりんどう珈琲の店内で、私はマスターに話しかける。
「いろんな考え方がある」
「そんなのわかってるよ。でもそれにしてもあんまりじゃない? 自分のお父さんだよ?」
マスターはなにも言わない。
「ねえマスター。それにあの瀬川さんって人、若いのにとっても疲れてるように見えた。介護の仕事って、そんなにハードなのかな?」
「ああ。確かに疲れているように見えた。でもな、ひい。あの人はあの人で介護という仕事を選んだ理由があるんだ」
新しいお客さんが入ってきて、会話はそこで途切れる。その日はそれなりにお客さんが途切れずに、わたしはせわしなく働いた。この半分くらいの人が、暇な日に来たらいいのにと思う。
火曜日のアルバイトが休みの日に、わたしは学校が終わるとすぐ家に帰ってピアノの前に座る。母親はどこかに出かけているようで、家には誰もいない。鍵盤を前にするのはもう3年ぶりくらいだ。わたしは指をほぐすと鍵盤の上にのせる。ショパンの「別れの曲」のイントロを試しに弾いてみる。思った以上に指が動きを覚えている。無意識に指を動かしながら、あの頃どうしてわたしはピアノを弾いていたんだろうと思う。17歳になってこの曲を弾いてみると、15歳で弾いていたときとは違う曲に聴こえる。なんでだろう。マスターのところでたくさんの音楽を聴いたから? あのときより大人になったから? わたしは不思議な気持ちになる。うまく言えないけど、今のわたしにはこの曲が、自分と世界のどこかをつないで結びつけてくれているような、この曲に少しだけ含まれているような、そんな気分がしている。先生に習ってこの曲を弾いていた時はそんなこと思いもしなかった。
「あら、めずらしいわね。あなたがピアノを弾くなんて」
お母さんが帰って来て、玄関のドアを開けると開口一番そう言う。
「うん。なんとなく。おかえりなさい」
「ただいま。でもちゃんと覚えているものなのね。とても上手だったわ」
「そう?」
「ええ。なんだか昔よりも上手だったみたい」
「いろんな考え方がある」
「そんなのわかってるよ。でもそれにしてもあんまりじゃない? 自分のお父さんだよ?」
マスターはなにも言わない。
「ねえマスター。それにあの瀬川さんって人、若いのにとっても疲れてるように見えた。介護の仕事って、そんなにハードなのかな?」
「ああ。確かに疲れているように見えた。でもな、ひい。あの人はあの人で介護という仕事を選んだ理由があるんだ」
新しいお客さんが入ってきて、会話はそこで途切れる。その日はそれなりにお客さんが途切れずに、わたしはせわしなく働いた。この半分くらいの人が、暇な日に来たらいいのにと思う。
火曜日のアルバイトが休みの日に、わたしは学校が終わるとすぐ家に帰ってピアノの前に座る。母親はどこかに出かけているようで、家には誰もいない。鍵盤を前にするのはもう3年ぶりくらいだ。わたしは指をほぐすと鍵盤の上にのせる。ショパンの「別れの曲」のイントロを試しに弾いてみる。思った以上に指が動きを覚えている。無意識に指を動かしながら、あの頃どうしてわたしはピアノを弾いていたんだろうと思う。17歳になってこの曲を弾いてみると、15歳で弾いていたときとは違う曲に聴こえる。なんでだろう。マスターのところでたくさんの音楽を聴いたから? あのときより大人になったから? わたしは不思議な気持ちになる。うまく言えないけど、今のわたしにはこの曲が、自分と世界のどこかをつないで結びつけてくれているような、この曲に少しだけ含まれているような、そんな気分がしている。先生に習ってこの曲を弾いていた時はそんなこと思いもしなかった。
「あら、めずらしいわね。あなたがピアノを弾くなんて」
お母さんが帰って来て、玄関のドアを開けると開口一番そう言う。
「うん。なんとなく。おかえりなさい」
「ただいま。でもちゃんと覚えているものなのね。とても上手だったわ」
「そう?」
「ええ。なんだか昔よりも上手だったみたい」