りんどう珈琲丸
「ああ。まだ若かった頃、妻とよく聴いた。ビリー・ジョエルも、エルトン・ジョンも。わたしはピアノが好きでね。このピアノマンのアルバムなんて、それこそ擦り切れるくらい聴いたよ。70年代の初めだったな。もう40年も前の話だ」
「はい。僕が生まれる前のアルバムです。1973年。でもぜんぜん古くない」
「ああ。いいものは時間を超えるよ」
 マスターは少しだけ音量を上げる。店内にビリー・ジョエルのピアノが響く。わたしにはそれが少しだけなにかにいらだっているような音にも聴こえる。瀬川さんと須田さんはそのあとほとんど会話もせずに、黙って珈琲を飲む。わたしはカウンターの前に立って、2人の様子をうかがう。それは本当の親子のように見える。

「ねえマスター」
「うん?」
「瀬川さん寝ちゃった」
「疲れてるんだろう」
 瀬川さんは珈琲を前にして、頭をもたれて眠っていた。須田さんはそっと席を立ち上がり、足を引きずりながらコーヒーカップを持ってカウンターに移動してくる。

「瀬川さん、寝ちゃいましたね」
「ああ。あの子は少し働き過ぎだ。もし迷惑でなかったら、寝かせてあげておいてくれ。わたしの契約も週に1回のはずなのに、ちょいちょいやってくる。今の日本は、ヘルパーというのは慢性的に不足している。仕事の量や内容はキツいし、そのくせ給料は安い。介護ビジネスなんてのは、半分が本当で半分がいんちきだ。スーツ着て上の方で偉そうな大義を振り回してるやつがベンツ乗り回して、現場は彼のような若者が寝る間もなく働いてるんだ。俺はできれば本当はそういうものの厄介にはなりたくない」
「もちろん迷惑なんかじゃありません。ほかにお客さんもいませんし」
「マスター、あなたの淹れる珈琲はおいしいよ」
「ありがとうございます」
 
「須田さん、失礼かもしれませんが、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ああなんだい? 柊ちゃん」
「須田さんはどうしてその介護を受け入れているんですか?」
< 46 / 92 >

この作品をシェア

pagetop