りんどう珈琲丸
「それはあの子がいんちきじゃないからだよ。あの子は本当に介護という仕事に情熱を持っている。もちろんまだ若い。若いがゆえに定まってはいないところもある。けれどもその迷いも含めて、あの子が抱えている思いはいんちきじゃない。それは間違いない。それにわたしは少しだけボケてきているんだ。今風に言うと認知症ってやつだな。ときどき自分の記憶が抜け落ちてしまったりする。でもふだんはいたってまともだ。でもその空白の時間に自分が浸食されてしまうのは、正直怖い。そばに妻がいればよかったが、もう死んでしまった。確かに今は別に介護は必要ないかもしれない。でももしそれを受け入れなかったら息子がかわいそうじゃないか。ちゃんと親の面倒を見ているという証として、毎週ヘルパーが家にやってくる。だからわたしはあの子に買い物や洗濯を頼む」
「息子さんがかわいそう…ですか?」
「ああ。そうだ。息子はあいつなりに、わたしのことを考えているんだ。悪く言わないでやってくれ」
「……すみません。じゃあ瀬川さんが来る日以外は、須田さんはなにをなさっているんですか?」

 わたしは続けて質問する。
「ほとんどなにもしていない。窓際のソファに座って、ただただ時間を見送っている。動かないからあんまりなにかを食べたいとも思わないし、お腹が減ったらあの子が作っていってくれたものを食べる。そんな暮らしだよ」
「そうですか。じゃあ、じゃあたまにここに珈琲を飲みに来てください。マスターもわたしも、暇で困ってますから」
「ははは。そうだな。そうさせてもらおうかな」
 わたしはマスターに怒られるかなと思ったけれど、マスターはなにも言わすに窓の外を見ている。

「すみません。あぁすみません。すっかり寝てしまいました」
「よく寝てましたね」
 マスターが優しく言う。
「ヘルパー失格だな」
 須田さんがいたずらっぽく笑う。
「すいませんすいません。あぁもうこんな時間だ。須田さん帰りましょうか」
「ああ。帰ろうか」
 2人はドアを出ると、須田さんは慣れた仕草で車いすに乗り込む。瀬川さんが車いすを押して路地を帰ろうとしたときに、マスターが言う。
「須田さん、瀬川さん、こいつにケーキ持たせるんで食べてください。日持ちしますんで。ひい、須田さんの家まで持っていけ」
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