りんどう珈琲丸
「わたしはマスターと毎日一緒にいるのに、マスターのことをほとんど知らないんです。でもマスターといると、わたしはとっても安心するんです。自分自身の迷いとか、自分自身の定まっていないところとか、そういうのを超えたところで、マスターがわたしを休ませてくれるような、そういう気がするんです。でも毎日一緒にいても、わたしにはマスターが自分を許していないという事の意味がぜんぜんわからないんです」
「わからなくても大丈夫だ。柊ちゃんなら、いつかきっとわかる」
「……わたしはどうしたらいいんでしょうか? わたしは、須田さんにも、マスターにも、なにもしてあげられないんでしょうか?」
「柊ちゃん、君はもうわたしにたくさんのものをくれているよ。なにもしてあげられないなんてことはない。もちろんマスターにとっても」
「わたしが?」
「そうだ。それに名前はないんだよ。柊ちゃんがそこにいるだけで、救われている人はちゃんといるんだ。自分以外の誰かにその救いを見いだせるからこそ、人は生きていける」
「自分以外の誰かに…救いを見いだせるから…生きていける」
「そうだ。柊ちゃんにもいつかきっとわかる日が来る」
そういうと須田さんはわたしに優しく微笑む。それは本当に優しい笑顔だった。
須田さんが遠くの施設に入ったことを教えてくれたのは、瀬川さんだった。それは11月の晴れた日曜日の夕方だった。瀬川さんはりんどう珈琲のいつものカウンターに座ると、目を閉じてとても複雑な表情で笑った。
「須田さんは自分の意志で施設に入りました。わたしは君津にあるわたしたちの介護施設に入っていただきたかった。でも須田さんは自分で決めて、東京に行ってしまいました。お2人によろしくと伝言を頼まれました」
そのときにわたしが感じたのは、悲しみとか寂しさとかじゃなくて、喪失感だった。窓の外の路地に入る冬の日差しの明るさが、その事実をいっそう重いものにしていた。マスターはなにも言わずに瀬川さんの言葉の続きを待っている。
「わからなくても大丈夫だ。柊ちゃんなら、いつかきっとわかる」
「……わたしはどうしたらいいんでしょうか? わたしは、須田さんにも、マスターにも、なにもしてあげられないんでしょうか?」
「柊ちゃん、君はもうわたしにたくさんのものをくれているよ。なにもしてあげられないなんてことはない。もちろんマスターにとっても」
「わたしが?」
「そうだ。それに名前はないんだよ。柊ちゃんがそこにいるだけで、救われている人はちゃんといるんだ。自分以外の誰かにその救いを見いだせるからこそ、人は生きていける」
「自分以外の誰かに…救いを見いだせるから…生きていける」
「そうだ。柊ちゃんにもいつかきっとわかる日が来る」
そういうと須田さんはわたしに優しく微笑む。それは本当に優しい笑顔だった。
須田さんが遠くの施設に入ったことを教えてくれたのは、瀬川さんだった。それは11月の晴れた日曜日の夕方だった。瀬川さんはりんどう珈琲のいつものカウンターに座ると、目を閉じてとても複雑な表情で笑った。
「須田さんは自分の意志で施設に入りました。わたしは君津にあるわたしたちの介護施設に入っていただきたかった。でも須田さんは自分で決めて、東京に行ってしまいました。お2人によろしくと伝言を頼まれました」
そのときにわたしが感じたのは、悲しみとか寂しさとかじゃなくて、喪失感だった。窓の外の路地に入る冬の日差しの明るさが、その事実をいっそう重いものにしていた。マスターはなにも言わずに瀬川さんの言葉の続きを待っている。