りんどう珈琲丸
「柊ちゃん、ポテンヒットってのはね、ちょうど誰もいないところにボールがポテンって落ちてヒットになったまぐれ当たりのこと。だからポテンヒット。そのまんま」
「そうなんですか。それって打つの難しいんですか?」
「はは。狙って打てる人なんていないくらい難しいな」
 山下さんはにかっと笑って新しいビールをごくごくと飲む。


「さっきまで吉川ここにいましたよ。昼飯食って帰りました」
 マスターがジャガイモとウインナーを焼いて塩こしょうで味付けしたつまみを出しながら言う。とってもいい匂いがして美味しそうだ。


「そうなんだ。吉川が」
 山下さんが驚いたように顔を上げてマスターに言う。
「はい」
「マスターがチームに入ってくれてほんとによかったよな、下村さん」
「ああ。ほんとによかった。俺も安心したよ」

「…どういうことですか?」
 わたしは2人の会話に口をはさむ。


「あれ? 柊ちゃんは知らないのか。マスターは知ってるよね?」
 マスターは無言でうなずく。
「あのね、吉川はずっと家から出なかったんだよ」
「家から出なかった?」
「ああ。今で言うひきこもりってやつだ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。あいつはこの町の生まれでさ、俺はあいつがこんなに小ちゃいときから知ってるんだ。小学校から野球が抜群にうまくてさ、ここらへんじゃ知られた存在だったんだよ。高校のときはあいつが3番ピッチャーでもうすぐ甲子園だったんだ。千葉県大会の決勝まで行ったんだよ。決勝だって初回のライトのエラーがなかったらわからなかったよね。俺は球場まで応援に行ったんだから。この町から初めて甲子園に行く人間が出るって。盛り上がったよな山下? あれがもう10年以上前か。昔は明るくて元気な奴でさ、駅とか道で会うといつもでけえ声で挨拶してくるんだよ。こっちが恥ずかしくなるくらいのでかい声でさ」
 下村さんはビールで赤く染まった顔で遠くを見るように言う。


「…それなのにどうして?」
< 80 / 92 >

この作品をシェア

pagetop