りんどう珈琲丸
 野球場はわたしが想像していたよりずっと立派なものだった。いつもは運動場みたいなところでやるみたいなんだけど、今日はなんとか大会の1回戦で、いちおう公式戦なんだそうだ。ちゃんと外野の向こうにはフェンスまである。ベンチの上には応援する観客席まで。わたしが観客席に上がろうとすると、下村さんが言う。
「柊ちゃん、ベンチで見てなよ」
「でも、ここにいて大丈夫なんですか?」
「ああ。ぜんぜん平気。飛んでくるボールにだけ気をつけてね」
「はい。じゃあそうさせてもらいます」


 チームのみんなが外野でキャッチボールを始める。わたしは一人でベンチに座ってそれを見ている。下村さんは山下さんとなにやら冗談を言い合いながら楽しそうにキャッチボールをしている。このあいだ下村モーターズの机に座っていた下村さんとはぜんぜん違う笑顔だ。ほかのメンバーも、だいたいがマスターより年上ばかりだった。何度かお店で会ったことのある人もいた。でもみんながみんな、とても楽しそうだった。みんなが全員違う仕事をしていて、違う会社で働いていて、でもこんなふうに日曜日の朝に集まって同じユニフォームを着てボールを投げ合っている。太陽が昇って、今日もいい天気になりそうだ。
 マスターは吉川さんと、いちばんはじっこでキャッチボールをしている。マスターの背番号は18番。吉川さんの背番号は41番だった。2人は一言も話さずに、黙々とボールを投げ合っている。


 試合が始まる前にベンチの前で円陣が組まれる。そこで下村さんが打つ順番と守る場所をみんなに伝える。それから9人しかいないから、怪我をしないようにという指示がある。マスターは9番バッター、吉川さんは1番バッターだ。


 試合は吉川さんの三振で幕をあける。ベンチが少しだけざわめく。吉川さんは表情ひとつ変えずにベンチに歩いて戻ってくる。
「おいおい、珍しいな。こりゃ相当いいピッチャーだぞ」
 下村さんがつぶやく。
 確かに相手チームの方がマスターたちのチームより明らかに野球が上手そうだったし、年齢もずっと若かった。動きもキビキビしていて、声も出ている。
 わたしはといえば、初めて野球の試合のベンチに座って、なんだか興奮している。マスターの隣りで、じっと固まっている。両方のこぶしを、いつの間にか握り締めている。


「ねえマスター、いいピッチャーだね」
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