りんどう珈琲丸
「ああ。あれがポテンヒットだ。どの世界でも、どの角度から見ても、あれが正真正銘のポテンヒットだ。あれ以上のポテンヒットはなかなかない」
「はは。かわいいね。ポテンヒットって名前」


「みんな今
からお酒飲むのかな?」
「ああ、今日は大会だからな。どっかで昼から飲むんじゃないか?」
「いい日曜日だね」
「ああ」
「吉川さんも連れて行かれちゃったね。打ち上げにいくのかな?」
「どうだろうな? さすがに今日は行くんじゃないか? 下村さんもいるしな」
「うん。…楽しいといいね」
「そうだな」
「あんなすごいホームラン打ったら、どんな気分なんだろう?」
「打ったことないからわからないよ」


 わたしは考える。わたしたちはわたしたちだ。それは変わらない。それぞれみんな違う。マスターが吉川さんのホームランを打った気分がわからないように、誰も自分以外のことなんてわからない。
 でもわたしたちには想像することができる。もしかしたらその少しの想像とか優しさとかが、わたしたちを救ってくれるのかもしれない。わたしは最後にホームベースを踏む前に、チームのみんなに見せた吉川さんの笑顔を信じたい。それは掛け値なしに心の底から出た笑顔だったと思う。吉川さんの過去になにがあったかは、きっと誰にもわからない。でもあのとき笑った吉川さんの笑顔は、今の吉川さんの本当の笑顔だ。


「ねえマスター」
「どうした?」
「人って、すごく複雑だけど、ときどきすごくきれいだね」
「ああ」


 マスターとわたしの向こうには、さっきまで試合をしていたグラウンドが広がっている。それはぜんぜんロマンチックじゃないけど、わたしたちは一緒にいる。吉川さんが打ったホームランはとても美しい弾道だった。わたしたちはついさっきそれを一緒に見て、その残像を心にとどめている。


「さあ、ひい、帰ろう。店を開けなきゃ」
「うん。帰ろう。ねえマスター」
「ん?」
「今日たくさんお客さん来るかな?」
「どうだろうな?」

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