春に想われ 秋を愛した夏
自宅マンションが近くなり、送ってくれてありがとう。とエントランスへ足を向けようとすると、春斗が名残惜しそうな顔をした。
塔子じゃないけれど、解り易いんだから。
「少し、寄ってく?」
笑いながら誘うと、瞬時に満面の笑顔になる。
子供のように喜ぶ顔が憎めない。
「お邪魔します」
「インスタントのコーヒーしかないよ」
「知ってる」
おどけあいながらキッチンへ行くと、春斗もあとについてきた。
「手伝うよ」
「お湯で溶くだけのインスタントだよ」
笑うと、カップが割れたら困るから、と付け加えられた。
「そんなにドジじゃないよ」
「いやいや。フードプロセッサーで指切っちゃうくらいだから、油断はできない」
わざと真面目な顔していうもんだから、ぷっと吹き出してしまった。
「指。治った?」
見せて。と春斗が手をとる。
「少し傷跡が残ってるね」
そういって、傷の痕にキスをした。
「早く綺麗になくなるといいね」
「時間が経てば、きっとわからなくなるよ」
すっかり傷口のふさがった指には、まだ薄黒いラインが残っている。
あんなにズキズキとしていた痛みは、もうすっかりなくなっていた。