春に想われ 秋を愛した夏


「心の準備ができてないよ……」

ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた春斗は、小さくそう漏らすと悲しげな目をした。
私は、よく解らないまま小首をかしげる。

春斗は、少し待ってて、と塾の中に一旦入ると、数分後、書類のようなものを手にして戻ってきた。

「少し、歩こうか」

以前、春斗を塾まで送ったあと、一人で歩いたアーケードを春斗と並んで歩いた。
夜の町は息を潜め始め、降りたシャッターたちがまるで心を閉ざしているような気がした。
そんな気持ちでここを歩くんじゃない、と叱られているような気がする。

「忘れ物しちゃって」

そういって、春斗はさっき取りにいった書類が収まっているような茶封筒を掲げて見せる。
その目は、私を見ようとしないし、触れてもこない。

あんなに私を抱きしめ、離れたくないといっていたのに、今は手を繋いでもくれない。
どこかぎこちなさのある、いつもと違う春斗。

こんな気持ちでいる私のせいだろうか。

「忙し、そうだね……」
「あ、うん……」

厭味ではなく、本当にそうなのだろう、と気遣ったつもりだったのだけれど。
春斗の躊躇いがちな返事を聞いたら、なんだか嫌な感じの物言いになっている気がしてきた。
まるで、逢えないことを責めているかのよう。

「ずっと、逢いに行かなくて、ごめん」

言われてすぐに、ううん。と首を振ってから、言葉の違和感に気づく。

逢いに、行かなくて?
行けなくて、の間違いじゃないのだろうか?

そう思って横に並ぶ春斗の顔を見上げると、何か言いたげに口元が歪んでいた。

どうしたんだろう。
逢わない間に何かあったのだろうか。

「この町。夜は静かでしょ」

ほとんど閉まっているシャッター通りに目をやりながら、春斗が話しだす。

「飲み屋街もあるんだけど、ここからは少し離れてるんだ。そっちに行けばもっと賑やかで、香夏子好みかも」

少しだけ混ぜた冗談に、春斗は静かに笑みを零す。
私も、なんとなく薄く笑みを浮かべた。



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