春に想われ 秋を愛した夏


「―――― 触らないでっ」

気がつけば、咄嗟に掴まれた右腕を力強く振りほどいていた。

拒絶し発した言葉で、周囲の音全てが一気に耳に届くようになる。
私の周りの無音だった世界が一気にガヤガヤとし始める。

オフィス内では、出勤したばかりのまだ覚め切らぬぼんやりとした空気の中にも、これから始まる仕事という戦場へのキリキリとした忙しさがそこここにあった。

そんな中で大きな声を出してしまったことに、注目を浴びてしまったかもしれない。と懸念し周囲を窺ってみたけれど、私の言葉は目の前の秋斗にしか届いていないみたいだった。
みんな自分の事に忙しく、立ち話をしている他者の社員のことなど見向きもしていない。

そんな周囲の状況にほっと安堵していると、目の前からは冷たい言葉を浴びせられた。

「なんだよそれ」

久しぶりに逢ったのに、その態度はなんだ。と秋斗の目が鋭くなる。

ドクリと、嫌な音が心臓を軋ませた。

あんな風に掴まれた腕を振りほどいておきながら、今度は怒らせてしまったかもしれないとビクビクしている。

自分でも制御できない気持ちのアップダウンに動揺して俯いていると、秋斗が無言で踵を返した。
その行動に今度は慌ててしまう。

待って、秋斗。

背を向ける秋斗に謝ろうと口を開きかけた時、それよりも少しだけ早く、僅かに振り返った秋斗が口を開いた。

「俺って、スゲー嫌われてんのな……」

俯き加減で放たれた言葉はとても寂しげで、なのに私はその背中に弁解の言葉一つもかけることができなかった。

梅雨の初めの、重く湿った空気が社内にまで侵入しているような朝。
纏わりつく嫌な感情が何なのかも解らずに、私はただその背中を見送るしかできなかった。


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