雫光
無邪気なひと
一人の男が屋敷の二階にある廊下を早足で歩いている。

その男は短気で気性が荒いが、周囲の人々に怒り以外の感情を見せることは殆どない。
仕事を淡々と機械的にこなす能吏だ。

擦れ違う人々は、まるでその男がいないかのように振る舞っていた。

挨拶も会釈すらも誰一人しない。

「就友」
そんな中、名前を呼ばれ、男は不機嫌そうな表情で振り向いた。
「相も変わらぬ、無愛想な奴だな。ぬしは。」
「黎明。愛想など要らぬ。おれは忙しい。」
嫌味を言う者に就友は、相手の名を呼んだ後に不機嫌そうな表情をした。
「やれ、虫の居どころが悪そうだな。また、ぬしの“主”が脱走したか?」
「…………」
就友は黙ってこちらを睨む。
どうやら図星らしい。
「治部という職は子守りもせねばとは。大変よの。」
「嫌味か?主計頭。」
就友は黎明を睨んだままで言う。

治部とは、本来は事務や政をする奉行だ。
就友はその中の大輔という位だ。

主計頭とは、主計という奉行の中でも上の位だ。

「おれはあのお方に信頼されているから、この役割をこなしているのだ。治部だからではない。」
「ならば、ぬしの役割は子守りか?」
「違う!」
就友は怒鳴った。
「おれは、あのお方の右腕として」
「就友、みーっけ!!」
話を遮った甲高い声に就友はそのままの表情で振り向いた。
「……大和御前様。」
就友は静かに跪いて、その声の主を見た。
「へっへへ〜♪」
声の主は童顔で無邪気な雰囲気をした女性だった。
「どこへ行っていたか?治部が探しておったわ。」
苦笑混じりに黎明が困ったように問う。
「うぬ!弾正弼と遊んでおったのだ。」
「ふむ。あやつと遊ぶのは難儀したろう?」

弾正とは軍事組織の中の一つの役職だ。
その中でも、弼という位がある。

「泣かれた!だから、就友と一緒に行くことにした。」
清々しい笑みで大和御前は就友を巻き添えにすることを豪語した。
「いいよな?」
「仰せのままに。」
「うぬ。就友はいい子だなぁっ!」
大和御前は無表情な就友の頭を撫でた。
(命知らずだ。)
それを見た黎明はそう思った。

就友は気が短いことでも有名だ。
常に帯刀している為、何かあればすぐに刀を抜く。
生来の秀麗な面立ちに、ただ見とれただけで殺されかかった者も数知れずいる。
何も知らない輩が気安く声をかけると、物凄い剣幕で睨まれる。
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