雫光
黎明は常磐の腕を掴んだ。
「放して!!行ってしまう……」
「そこには誰も居らぬ。」
泣き叫ぶ常磐に黎明は諭すように強く言った。
「……いない……だぁれも…………」
ようやく、現実を認識したように常磐は呟いた。
そして、気絶してしまった。
「やれ。手が焼ける。」
黎明はそう言いながら、常磐を部屋へ運んだ。

部屋に着くと、常磐を布団に寝かせた。
「あの、“魔王”とまで呼ばれた弾正弼がこの様とはな。」
就友は眠っている常磐を見て言う。

かつて、常磐弾正弼嘉生は“魔王”と呼ばれていた。
幼い容貌とは裏腹に、戦場では敵方に対し、非情で残酷である。
類稀なる実力は“弾正弼”の位に見合うものだ。
女性であるにも関わらず、その位に在ることを戦を見た者は直ぐに納得する。
普段は近くにいるだけで威圧されてしまうような雰囲気を常に纏っていた。
強く、自分の役割に誇りを持っていた。

『魔王様!』

誰もがそう呼んだ。

そんなある時、殿方と婚姻を結ぶことになった。
両家の父親が勝手に取り決めたことだ。
常磐は否応なしに従った。

『松戸治部少輔光頼にあります。』
恭しく、男性が礼をした。
『其方が私の婚約者か。』
常磐は軽く睨んだ。
『難儀だな。』
『え?』
光頼は不思議そうな表情をした。
『親が勝手に決めた婚姻に振り回されるとは』
『某は』
『無理に取り繕う必要はない。』
そう言うと、常磐は立ち上がった。
『執務に戻れ。私は自室へ行く。』
『待って下され!』
光頼は慌てて立ち上がり、常磐を抱き締めた。
『好きなのです……確かに、この婚姻は父が決めたことです。しかし、某が貴方に惹かれていたこともまた、事実なのです。』
その言葉が偽りではないことは光頼の体温が語っていた。

やがて、常磐と光頼は自他共に認める良夫婦となった。

しかし、それは束の間の幸せだった。

光頼は争いに駆り出され、戦死した。
同じく、常磐も争いに駆り出されていたが、無傷で帰宅した。

なぜなら、光頼の部隊は争いの渦中にあり、常磐の部隊はその真逆の閑散とした所だったからだ。

死体となって帰ってきた光頼に常磐は茫然とした。

どれくらい、茫然と目の前にある光景を見つめていたかはわからない。

『光頼…さま……』
ようやく、出てきた言葉がきっかけとなり、常磐の目から涙が溢れる。
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