【続】三十路で初恋、仕切り直します。



「泰菜」

半分もう眠りに落ちかかっていた泰菜はもう一度重なって来た体を押し返したりはしなかったけれど、ひどく驚いた顔をした。

「…………朝までって、本気だったの………?明日もお仕事でしょ……?」

掠れてしまった声は嫌がってるようには聞こえなかった。それを免罪符にして、もう一度触れて泰菜の官能を揺さぶって声を上げさせる。


愛しているのだ。


泰菜の何もかも食らいつくしそうになるくらいに。愛したらないことすら愛おしく思えるほどに溺れている。自分の重苦しいほどの愛情でこいつを押し潰してしまうんじゃないかと思い悩むほどに愛している。


そんな大事な相手なのだから、うまく距離感を掴めなくて当然なのかもしれない。泰菜を抱きつつそんな考えに行きつく。




「おまえ、ちょっと痩せたな」
「そんなことないよ」

「や、絶対痩せただろ」
「……そんなことないってば。最近プロウンロールにハマっちゃって今日も一袋ぺろって食べちゃったし」

「それ、俺のビールのつまみに買っておいたやつだよな」
「ごめん……そうです、法資の分食べちゃったからまた買っておきます」

「5袋買っておいたのに全部食ったのかよ。まあ菓子くらいいいけどな。……食べてるんだとしても、おまえ最近ちゃんと寝てないだろ。でなきゃそんな疲れた顔になるわけない」
「………法資はなんでもかんでもお見通しだね」

「あのな。毎日は起きて待ってなくていいって言っただろ。おまえに放置されるのはもってのほかだけど、こんな風にやつれた顔させるのもごめんだ」


帰りを待ってなくていいとは言い切ることが出来ない自分を身勝手だとは思うけれど。


「あんまり無理するなよ」


この一言だけで言いたいことは伝わったのか、泰菜の顔がやわらかく笑み解けた。


「それ、こっちのセリフだよ。……仕事だから無理せざるを得ないのはわかってるけどさ、無理しないでね?」
「おまえもさ、ほどほどでいいんだよ。これから何年何十年一緒にいると思ってるんだ。今から無理してるとこの先持たないぞ」

「………うん。そうだね、これからずっと続くんだもんね。……なんか、思ってたより難しいね、夫婦って。どこまでするのが丁度いいのか、まだ探り探りだよ」


生活ペースのことだけを言っているんじゃないのだろう。それまで家族ではなかった相手と家族になって、気遣うつもりで空回ってしまうことにひそかに落ち込んだり。最近はたぶんお互いそんなことの繰り返しだった。けど。


「俺とおまえはずっとただの幼馴染だったんだ。その期間を思えば、恋人同士になったのなんてつい最近みたいなもんだろ」


今まで積み上げて来たものから、まったく別の関係になったのだ。戸惑うのもうまく掴めないのも当然と言えば当然だ。


「急にすんなり夫婦にシフトチェンジするなんて出来ないのかもな」
「…………うん」

「だから、ゆっくり夫婦になっていこうな。……おまえが完璧な嫁じゃなくたって愛してる。だから俺の前であまり無理するな。おまえは頑張りすぎだからもっと適当に手を抜いて、たまには旦那にちゃんと甘えとけ。ついでに嫁の我がままを聞いてやる甲斐性ってやつも、たまには俺にも味合わせてくれよ」


プロポーズをしたときよりもっと明確に抱いた「この女を幸せにしたい」という思いが、自然とそんなことを言わせた。

尽くしてくれるのもうれしいけれど。感謝してるけど。でも自分の隣で泰菜がしあわせそうに笑っててくれるのがいちばんなのだ。それが泰菜との結婚で自分が何よりいちばん望んだことだった。


けれどそんな思いを受け止めた泰菜は、なにか困った顔をして苦笑してしまう。


「わかってないなぁ、法資。……法資がそういうこと言っちゃったりするから、がんばりたくなっちゃうんだってば。……家のことは法資のためにしてたことだけど、わたしのためにしてたことでもあるの。わたしが法資にしてあげたかったの。無理してるだけじゃないの。法資に『おかえり』を言えるのが、うれしいんだよ?」


泰菜はちゃんと自分を愛してくれているけれど、子供の頃から片思いをしていた自分の方がずっと気持ちが大きいのだろうなという確信があって、それはこの先変わらないことだと思っている。

だけど照れたように微笑んでいる泰菜を見ているうちに、いつか自分が感じているような幸福を泰菜がこの家庭に感じてくれるようになる予感がしてくる。


幼なじみだった時期も恋人だった時期も終わった今、これからまたどう関係が変わっていくのかは自分たち次第だ。


もっと惚れさせて、絶対にこの女を自分と同じくらいに幸せにしてやろう。
もっと甘やかして、もっと上手にこいつを愛してやろう。


そんな決意はこれからの結婚生活で示していけばいい。まずはキスをして甘いささやきを耳元に落として、大事に大事に愛おしい妻をもう一度腕の中に誘い込んだ。



(end)
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