【続】三十路で初恋、仕切り直します。
入社した当時は、田子のことが大嫌いだった。
「女に現場のことなんて分かるか」といつも横柄な態度を取られたし、「ぺーぺーの分際で指図すんな」と言われて残業を重ねてつくりあげた生産計画書を何度も目の前で破り裂かれた。
泰菜が嫌がっているのを承知でわざと生々しい風俗の話を聞かせてきたり、ヘルメットの顎紐がちょっと弛んでいたことに目敏く気付いて安全意識がなってないと怒鳴ってきたり、工場内でうっかり帯側歩行を守らずに歩いたときにはお尻を蹴り上げられた。
今はようやく対等に近い口を利けるようになってきたけれど、現場の方針と事務所の意見が衝突するたび派手な口論になる。
それでも、最初は「小娘」だの「ペーペー」だの呼ばわりだったのがちゃんと「相原」と呼んでもらえるようになり、やっと認めてもらえてきたのかなという手応えを感じていた。
口汚くて、風俗狂いで、噂好きで。このくそオヤジと心の中で罵倒したことは数え切れないけれど。
思えば長武と付き合う前には、田子は長武となんとなくいい雰囲気になってきた泰菜に「あいつ今まで現場のパートつまみ食いしてきた女たらしだぞ」と警告してくれた。
法資からのプロポーズを一度断ってそのことに動揺していたときには自身が細君にプロポーズしたときのことを明かしたうえで、「もっと気楽に考えてみろ」とアドバイスをくれた。
泰菜は自分が思っていた以上に、田子から田子なりの情というものを掛けてもらっていたようだ。
ときに検討ちがいだったり独善的だったりする田子のお節介を、正直迷惑だと感じたこともある。今日だって自分に打診もなくいきなり法資を呼びつけるなんて、いくら自分を思ってしてくれたこととはいえ、暴挙がすぎると思う。
けれど今。泰菜のことが心配でならなかったという田子の、決まり悪そうにそっぽを向いた横顔を見て、自然に頭が下がった。
「おい、ちょっと相原」
田子の気持ちに感謝の意味を込めて頭を垂れていると。隣に座っていた法資も背筋をすっと伸ばし、それから田子に向かって深々と頭を下げた。
「っいきなり何だよ」上擦った声で班長は「相原、それに桃木さんよ、やめてくれよ」と訴える。
「田子班長。……自分が不甲斐ないばかりに、相原のことでご心配をおかけしてすみません」
法資がいっそう深く頭を下げるので班長はいよいよ焦ってうろたえた。
「よしてくれつってんだよ桃木さん!……おい、相原、やめさせてくれよ」
横目でちらりと伺うと、顔を伏せている法資はいつになく真剣な面持ちをしていた。
「相原だけでなく相原に目を掛けてくださっている方々にまでご心配をおかけしていたなんて、本当に申し訳ない気持ちです」
謝罪を口にする法資は、きれいな姿勢で下げていた頭をゆっくり上げると。よく通る声で田子にはっきりと言い放った。
「自分は真剣に相原との結婚を考えています」