【続】三十路で初恋、仕切り直します。



気を鎮めるために、化粧室の鏡の前でリップを引き直していた。



普段出勤するときはベージュピンクなどのヌードカラー系のリップを使っているけれど、今塗っているのは休日用に使っている華やかで女子感のあるベビーピンクのリップだ。


いかにも女の子らしい甘い色合いがかわいらしすぎて、ずっと自分には似合わないと思って避けていた色。


思い切って使ってみたら、法資はすぐに気付いてくれて。画素が荒いテレビ電話越しだったのに『それいいな』と褒めてくれた。





そんな法資が言った『悪いことが出来ない正直者』という言葉がずっと引っ掛かっていた。





法資はにこやかに酒を飲み交わしている同じ席の中に、泰菜の元彼がいることを知らない。


知ればいい気はしないはずだ。


黙っていれば気付かれないだろうことを、わざわざ教えて法資の感情に波風を立たせたくはない。何も知らないままなら、法資が嫌な思いをすることもないのだから。なにもかもを包み隠さず話すことが、必ずしもふたりの関係を良好に保つために正しいこととは限らないはずだ。



けれどもし。もし自分が法資の立場だったら。




『仕事ですこし遅くなる』としか連絡してこなかったのに、実は法資が元恋人が同席する飲み会に行っていたとしたら。たとえ元恋人とふたりきりで会っているわけじゃなくても、状況的に参加せざるを得ない付き合いなんだとしても、嫌だと思ってしまう。

後から『元恋人と会った』という事実を知らされたら、隠し事をされていたような不快な気持ちになって、隠さなきゃならない理由でもあったのかと勘繰ってしまいそうだ。




長武が泰菜の元彼だと今知っても、もし何かの拍子に後から知ることになっても、どちらにしても法資を不快な気分にさせるのなら。だったら話しておいたほうがいいと思う。


自分を『正直者』と信じてくれている法資に、うしろめたいことがあるわけではないのに何も話さないでいるだなんて、裏切りに近いことなんじゃないかと思えてくる。




----------飲み会がお開きになったら、今日一日の謝罪も含めて話そう。




固く決めて、お気に入りのポーチ片手に化粧室を出ると。




「………法資?」



扉からすこし離れた場所で、通路の壁に背中を預けた法資が立っていた。




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