続・雨の日は、先生と
「それで、えと……」


「唯ちゃん、約束を守れなくてごめん。」


「……約束?」



マエゾノさんは、急に私の前に頭を下げた。



「唯ちゃんは俺に、『帰ってあげて』って言ったね。」



その言葉に、あの日の光景が目に浮かんで苦しくなる。

楓に、信じられない言葉を投げつけられた日。

私は確かに、マエゾノさんにそう頼んだのだった。



「だけど、結局それはできなかったんだ。」


「え?」


「……もちろん、あの日は帰った。だけど……、心は、帰れなかった。」


「マエゾノさん……。」



その切ない表情は、天野先生がたまに見せる表情に似ていた。

守りたいものを守れなかった人の顔。

やるせないけれど、でも、愛に溺れてしまった人の顔―――



「いつでも、俺の心はここにあったから。だから、」


「でも、マエゾノさん……。」


「分かってる。自分がどんなに卑劣なことをしているか。楓にも、楓の母親にも俺は、一生許してはもらえないだろう。だけど、」


「ダメだよ、マエゾノさん。そんなこと、ダメだよ。マエゾノさんは、結婚してるのに、」


「離婚したよ。」


「え、」



ごめん、楓―――

まっさきに浮かんだのは、その言葉だった。



「唯ちゃんのお母さんとは、籍は入れない。ただ、事実婚として一緒に暮らすことにしたんだ。……唯ちゃんに、いつか話したかった。認めてくれなくてもいい。でも、こんな奴が事実上の父親になることを、許してほしくて。」



言葉を失った。

テーブルの上を、空白の時間が過ぎてゆく。


なんて答えたらいいか分からなかった。

嬉しい、というのも違う気がするし。

かといって、怒りばかりかというと、そうでもなかった。


少なくともマエゾノさんの気持ちはよく分かった。

母に対する、心を尽くした誠意も。


ただ、それではあんまりだと思うのだ。

楓が、あまりにも可哀想で―――



「ごめんなさい……、なんて言っていいか、分からない……。」


「……うん。ごめんね。」



肩を落としているマエゾノさん。

きっと彼は、誰より、私より罪の意識に苛まれている。

だけど、それでも母を選んだのだから―――



「マエゾノさん。」


「はい。」


「私の母を、大事にしてください。」


「……う、ん。」



急に涙ぐんだマエゾノさん。

これでいいのかもしれないね。


今まで、私の父が亡くなってから、苦労ばかりしてきた母。

そして、出会った運命の人、マエゾノさん。

でもその人は、苗字しか教えてくれない、得体の知れない人で。

楓のお父さんで。

叶っちゃいけない恋だった。

でも、これはきっと、神様がお母さんに味方してくれたんだろう。


例え、不倫の果ての恋であっても。

きっと、二人は二人でいるのが一番いいんだ。


私と、天野先生みたいに―――
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