夢を、みているようでした
夢の中で




ミーン、ミーンミーン

庭の木にいる蝉が、大きく鳴いている

そこからまた、どこかにいる蝉が鳴いて

太陽の光が、愛子の顔や体にあたって

うっすらと肌は汗ばんでいる

さっき起きた出来事を、思い出しながら

愛子は、勢いよく玄関のドアを開けた


「 母さまー!母さまー!大変だよー!」


父さまは言った

「愛子ちゃん、何かあったらすぐに手紙を出すように」

愛子の大好きな父さまは大日本帝国海軍の少佐で、今は横須賀の基地で駆逐艦というものに乗っていて

一番上の弘兄さまは、頭が良くて、運動神経も良くて、いつも愛子を可愛がってくれていて、愛子の自慢の兄であった。そんな弘兄さまも、今は広島の基地の航空隊に配属されている

二番目の実兄は、愛子と一つしか違わないので、よく喧嘩をしてしまい、家族を困らせていた。でも愛子が困っていると、誰よりも早く助けてくれていた。

愛子の胸はチクチクして痛んでいた。

深く息を吸うことが出来なくて肩を上下させている愛子を

様子を見に来た母さまは、ビックリした顔をしていた

「 愛子ちゃん?どうしたの? 」

母さまは、靴も脱いでいない愛子をそっと抱き寄せた

「 どうしたの?どうして泣いているの? 」

赤子をあやすように、ゆっくりと背中をさする母さまの手の感触で

愛子の目から小粒の塊がワンワンと溢れ出してきた

「 兄さまが、弘兄さまが、死んでしまったかもしれません 」

「 あらあら、どうしてかしら? 」

母さまの手が今度は、愛子の顔を包んで上を向かせた

母さまと目が合うと、ゆっくりと喋り始めた

「 私、は、さっき、ここに居るハズのない弘兄さまを見ました 」

「 本当に弘だったの? 」

「 だって、だっ、て、弘兄さまと同じ、制服を、着ていましたもん 」

「 休暇中の、違う方ではないの? 」

「 だって、弘兄さまと同じよう、に私を見、て愛子ちゃんと呼びました 」

「 そう…、その方は、愛子ちゃんと呼んだのね… 」

「 はい…母さま… 」

「 最後に大好きな愛子ちゃんに会いに来てくれたのかもしれないわね? 」

母さまは、もう一度、ギュッと愛子を抱きしめた後

足がガクガクしている愛子の手をとって中へと招き入れた

居間の冷たい座布団の上に愛子を座らせると

母さまは、夕食の準備の途中だったのだろうか、台所へと去って行った

時々、鼻をすする音がする。愛子のではない母さまのであった

愛子はその音を聞きながら息を大きく吸って、ゆっくり吐く

目の前のちゃぶ台に、頭を乗せ、グリグリする

さっきのは、本当に弘兄さまだったのだろうか

母さまに言ってしまって、母さまを悲しませてしまった

愛子が考えているといつのまにかちゃぶ台には、小さい水たまりができていた

水たまりに指をつけて、ちゃぶ台に模様を描いていく

たまに“弘兄さま”と書いてみる

弘兄さまと書いたら書いたで、先ほどのことを考えてしまい

また涙が溢れてくる


「 ただいまー 」

実兄の声だった

おかえり、といつもなら返ってくるハズなのに

何も聞こえない室内を疑問に思ったのか

「 ただいまー 」

と、また実が声をかけた

やや速足で居間に向かってくる足音がしていた

「 いるなら返事くらいしろよな、愛子 」

「 …母さまもいるもん 」

持っていた鞄をドカッと近くに置いたが

実からは愛子の様子は見えていなかった

「 母さんもいるのか… 」

そう言うと、実は台所の方へと歩いていった

ミーンミーン、ミーン

先ほどと違って、太陽はもう沈みかけているのに

蝉の声だけは、いっそう大きく聞こえているのと同時に

台所の方で何かを話している声が聞こえていた

ミーン、ミーンミーン

しばらくすると、ゆっくりと居間の襖が開いて

先ほど聞いたような、ドカッという音がした

「 愛子、泣いてるのか 」

実兄の凛とした声が、蝉の声を掻き消したかのように

愛子の耳に響いていた。愛子は無言で顔を上下させていた。

「 母さんにも言ったけど、まだ決まったわけじゃないだろ 」

「 でも… 」

「 でも、じゃない。その兄さんの幽霊も、本物の人間かもしれないだろ 」

「 でもでもでも、愛子ちゃんって私のこと呼んだもん… 」

「 それで? 」

「 え? 」

「 愛子ちゃんって呼ばれて、お前はどうしたんだ? 」

「 逃げた… 」

「 それじゃ、兄さんの霊か本物の兄さんか、または違う人間かわからないじゃないか 」

ちゃぶ台にくっつけていた顔を

ゆっくりと愛子は上げた

「 そう…だよね… 」

「 とりあえず、すぐに父さんと、弘兄に手紙を出したら? 」

「 あ…明日、書いて出す… 」

「 落ち着いた? 」

「 うん…ありがとう… 」

実は顔を上げた愛子を

二度見して大声で笑い始めた

「 母さーん!愛子がちゃぶ台を水たまりにしてるー! 」

「 や~! 」

「 あと目がすごいことになってる〜! 」


ミーン、ミーン


愛子はお布団に入って、ゆっくり目を閉じると

今日あった出来事を思い出していた

愛子が通っている高等女学校から帰宅している時のこと

前方で、兄である弘と全く同じ軍服を着た人が立っているのが見えた

その人とすれ違ったであろう女学生達は

キャーキャーと、その人の事を喋っていて

「 ものすごく凛々しい方で 」

「 背もスラっとしていて 」

それを聞いた途端、愛子はもしや大好きな弘兄さま?と思ったが

つい数週間前に、弘は休暇をもらって帰ってきたばかりだった

前方にいるその人は

愛子の方に顔を向けていた

ゆっくりと近づいていく2人の距離

愛子はあまり知らない人の顔を

見てはいけないと思い

少しうつ向き気味に

その人の横を通り抜ける、と

後ろから

「 愛子ちゃん 」

と、声を掛けられたのだった

愛子は、サァっと寒気がした

あの軍服で愛子を知っていて

愛子ちゃんと呼ぶのは

弘だけだったからである

兄の霊だ!と思った愛子は

後ろを一切、振り向かないで

自宅まで走ったのだった。





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