ヒット・パレード



トリケラトプスがレスポールのステージに立ち、メジャーデビューを夢見ていたアマチュア時代から、しだいに頭角を現しようやく登り詰めた日本ロック界の頂点。


しかし、この日を境にトリケラトプスは、山の頂から転げ落ちる石のように、瞬く間に奈落の底へと転落していった。


森脇が呼んだ救急車で病院へ運ばれた前島の負傷した左手は、すぐさま医師によって治療が施された。


森脇も前島も、その時には左手の傷に対してそれほど深刻な思いを抱いてはいなかった。


骨折という訳でも無く、恐らくは全治一ヶ月か長くても二ヶ月、その位で完治するのではないかと予想していたからだ。


現在トリケラトプスは、ツアーを終えたばかりで楽曲の構想の為の充電期間に入っている。さしあたって、暫くの間は前島が左手の治療に専念していても、バンドの運営に影響の無い時期であった。


ところが、後日の病院での精密検査によって、その後の前島、そしてトリケラトプスの運命を左右するようなある事実が露見された。


ナイフが前島の左手を貫いた。ちょうどその位置に、脳からの司令を指に伝える重要な神経が走っていた。
その神経が著しく損傷しており、それは現代の医学では修復が不可能な状態であった。


その後遺症により、前島の左手人差し指と中指は、今後一切自力で曲げる事が出来ない。



それは即ち、前島 晃のギタリストとしての再起不能を宣告するものであった。



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