ホルケウ~暗く甘い秘密~
そろそろ家に帰ろう。
そう思い、海から離れようとした時だった。
―――――――――潮風に乗って、甘い匂いが漂ってきた。
ドクドクと心臓が激しく脈打つ。
血が逆流するような感覚に襲われながら、人狼の本能が目を覚ました。
近くに、女がいる。それも若い女が。
生唾を呑み込み、目を凝らして探せば、すぐに見つかった。
1Kmほど先の砂浜に、ワンピースを着てカーディガンを羽織った女が立っていた。
波に足をさらし、月を見上げている。
(やめろやめろやめろ!なにする気だ俺!)
理性ある自分が必死に叫ぶ。
早くここから立ち去れと。
人狼の自分が甘く囁く。
目の前の獲物を逃すなと。
2つの感情がせめぎあい、二匹の蛇のように俺を縛り付けていたその時、女性は俺の存在に気がついた。
その瞬間、片方の蛇は頭を食い千切られた。
人の体でありながら、俺は野生動物のようにしなやかに砂浜を駆けた。
女性の髪を掴み、引き倒し、顔を自分のほうに向けさせた。
彼女は近くで見るとかなり幼くて、ひょっとしたら俺と同じくらいの歳だったかもしれない。
剥き出しの牙と金色の瞳という異形の姿に、女の子は絶叫した。
恐怖に顔をひきつらせながらも、彼女の口はこう動いた。
バ・ケ・モ・ノ
不意に、雪の日の記憶が蘇る。
俺はあの時何をしようとした?
あの時お袋になんて言われた?
『近寄らないで!この化け物!』
化け物。そうだ。俺は化け物だ。
わかっていたはずなのに、俺はまた同じ過ちを繰り返した。
悲しいかな、化け物と呼ばれて、そうだ自分は化け物だって意識すると、短い間だけど人狼の呪いから解放される。
また意識が乗っ取られる前に、俺は斜里の海から逃げた。
逃げながら、ある一つの考えが頭をよぎったんだ。
俺は、愛子と別れるべきなのかもしれない。
もう二度も女性を襲ってしまった。
今までは未遂でも、これからは?
臓腑が捻れるような感覚が襲い、走る速度が落ちていく。
立ち止まった山には木枯らしが吹き、冬の気配が訪れようとしていた。
また、あの季節が巡ってくる―――――――――