ホルケウ~暗く甘い秘密~
もっと、深い奥底から本能が訴えてくるような……例えば、腹が空いた時になにかつまみたいと思うような、そんな感じだ。
まるでそれがないと、いきていけないような…………。
(オオカミに噛まれたショックだな。相当頭がイカれてる)
手と顔から水気を切り、有原はゆっくりと顔を上げ、鏡の中の自分を見て、フリーズした。
それは、まったくもって予想外のことで、あり得ないことだった。
「俺の目が…………」
鏡に手をつき、茫然と有原は呟いた。
彼の瞳の虹彩部分は今、鮮やかな金色だった。
まるで、先日彼を襲ったオオカミのような、燦然と煌めく黄金色。
さらに、上唇から覗く、牙にも似た鋭い犬歯……それは、ついさっきまではついていなかったものだ。
(嘘だ……こんな、俺がこんな姿になるわけない!夢を見ているんだ!夢を……)
混乱した頭で、鋭い犬歯を引っ込めようと強く指で押すが、先端を押した時、有原は跳ねあがった。
まるで、調理中に包丁で指を切った時のような、じわじわとした痛みが広がる。
強く押した。
ただそれだけで、人の皮膚を傷つける歯の、一体どこが普通だというのか。
有原はもう、わかっていた。
自分はもう、人ではない何かなのだと。
しかし、どうしてもそれが受け入れられなかった。
(頭を打ったんだ……だから、幻覚を見ている。恥ずかしがってないで、医者に相談しないと)
とうとう現実逃避しようと、必死で自分に暗示をかけ始めた有原だが、彼にとって都合の悪いことに、事態はさらに悪化した。
顔を洗いに来た入院患者の一人が、有原の顔を見て悲鳴をあげたのだ。
「ぎゃあアアアァアアァァアッ!!化け物!化け物だッ!!」
有原を見てしまった老人は、ガタガタと全身を震わせ、腰を抜かして床にへたりこんだ。
その反応は、有原の理性のストッパーを外すのに十二分に作用した。
オレハ、バケモノニナッタ。
それだけが有原の頭に響く。
そして次に思ったのが、
(ここにいてはいけない……逃げなきゃ、俺はここにいたらダメな存在だ)
そこからはよく覚えていなかった。
本能に身を任せ、四階の窓から飛び降りる。
普通の人間なら、助走をつけて四階から飛び降りなどしたら骨折、大ケガは間違いない。
しかし、有原はその身をもってして、容貌だけではなく、体まで変化していることを知った。