僕らが大人になる理由


「真冬、座って」

「え」

「手当するから。膝、さっき腕引っ張られたときに転んで擦りむいたんでしょう」


紺君は、人気のない1つのベンチの前で止まり、あたしを座らせた。

ベンチの横には小さな水飲み場があって、紺君はそこで(あたしの)ハンカチを濡らして、膝に当てた。


紺君の表情は、ひどく疲れていた。


「紺君、あの」

「ん?」

「す」

「?」

「すみませんんんんん~っ」

「え」

「あたし、これから気を付けます、接客人一倍笑顔で頑張ります、メニューだって絶対打ち間違えない、酔っ払いだって上手くかわします、なんなら護身用の合気道だって習います、だから、だからっ…」


――どうしようもないなんて、言わないで。

あたしを見て、溜息をつかないで。

あたし、頑張るから。本当に頑張るから。

もう、この子は駄目だって、仕方ないねって、勝手に納得しないで。見放さないで。


子供の頃の記憶って、どうしてこんなにも傷つけられたことだけ鮮明に残っているのだろう。

ふとした瞬間に思い出すとか、もうそんなんじゃない。

寝てるときも食べてる時も笑ってるときも、ずっと心の中に潜んでて、ほんのちょっと引っかかれただけで、殻が壊れてしまう。


はやくあんなトラウマなんか埋めてしまいたいのに。


「ちょっ…と、真冬」

「けほっ、けほ」

「バカ、だからもう喋らないでって言ったのに」

「けほ…っ、ごめ…っ」

「真冬、大丈夫です。落ち着いて下さい。怒ってませんから」

「うっ、けほけほ、ごめんなさっ…」

「真冬、俺を見て下さい」

「ごめんなさいっ…けほけほ」

「真冬、俺を見ろ」

「ごめっ…ごめんなさっ…」

「真冬っ、上司命令だ、聞けっ」


ぐっと二の腕を引っ張られて、目の前には紺君の真剣な顔。

その瞬間、嘘みたいにピタッと咳が止まった。

紺君は、あたしをじっと見つめたまま、動かない。

目が、そらせない。
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