僕らが大人になる理由




『真冬って呼びたいって、思いました』




…そういやあんなこと、初めて言われたな。

すごくすごくすごくうれしかった。

久々に本当に名前を呼んで貰えた気がしたんだ。

紺君は、偏見も何もなしに、“あたし”を見てくれてる。そう思えたんだ。


それなのにどうして。

どうしてあたしは、あのとき。


「真冬って名前、嫌いなんです」

「……え」

「真冬の唄って曲、知ってますか? 母がその曲が大好きで、それでつけたんだそうです。だからあたしも、小さなときからその曲を何度も何度も聴きました。それが母の愛情を知れる一番の方法でしたから」


去ろうとしていた紺君は、もう一度カウンターに座った。


「そんな風に時折聴いて、中学生になったある日、母が真冬の唄を聴いているあたしを軽蔑した目で見て、本当に暇ね、あなたは、って言いました。そんなことしてる時間があるなら勉強しなさいって」

「……」

「まるで、CDごと捨てられたような気持ちでした。真冬って名前が大好きだったのに、あの日から、まるで他人の、知らない人の名前のようになってしまいました。そうして、家族はだんだん家族を名前で呼び合わなくなりました」

「……」

「だから、びっくりしたんです。ここにきて、みんながあたしの名前を呼んでくれること」


何言ってるんだろう、あたし。

こんなどうでもいい話より、もっと紺君に謝らなきゃいけないことがあるでしょう。

でも、止まらなかった。

今ここで吐き出さなきゃ、体がもたない。声が、指が震える。


「怒る時も、笑ってるときも、困ってるときも、叱ってくれる時も、みんながあたしを真冬って呼んでくれることが、本当は凄く嬉しかったです」

「……」

「真冬って名前で良かったって、久々に思いました。それだけで、ここで働いて良かったって、心から思えた…っ」

「っ」


それなのに、あたしは兄の怖さ故に謝ってしまった。

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