Candy of Magic !! 【完】
「あ、犬!」
「は?どこだ?」
「あっち!」
それから屋敷内をグルグルと回って歩いていたら、ふと視界のすみに犬が走り抜けるのが見えた。多分、本物の犬。
私は振り返らず走った。
「ミク!」
後ろから先輩が呼ぶ声が聞こえるけど、なんだかさっきの犬が気になって足が勝手に動いていた。
犬飼ってるなら教えてくれれば良かったのに。
私にとって犬や猫は友達だった。取引先で出会った動物たちと遊んで暇潰しをしていたからだ。
久しぶりに見る本物の犬。抱き締めてもふもふしたい……
「……うわっと!」
幸か不幸か勢い余って躓いてしまった。そのまま身体が前に倒れる。
後ろから先輩の怒声が聞こえたけど、間に合う距離じゃない。
衝撃に堪えようと腕を伸ばして目を瞑ると、硬い床の感触は伝わって来なかった。逆に、なんとも暖かくて柔らかな感触……
ぱちっと瞼を開ければ、真っ黒な犬が私の身体をその大きな体躯で支えていた。
「あっ、ごめんね!」
いつもの調子で声をかければ、犬はお座りをして私を見つめた。座っている私とほぼ同じ高さに大きな黒い瞳があって、少し怖じ気づく。こんなに大きな犬に会ったのは初めてだ。
追い付いたヤト君たちも不思議そうにしていた。
「犬なんて飼ってないはずなんだけど」
「……いや、犬じゃない。オオカミだ」
「オオカミ?!」
私は驚いてパッと立ち上がった。目の前にいる大きな動物はハッハッと口を開けながら私たちを見上げる。ちらりと見えた前歯にひいっと肩がびくついた。
私たちが対応に困っていると、メイドさんが走って来た。
「ウル様!ここにいらっしゃったんですか……はあ……はあ……」
メイドさんは息を整えるように膝に手を置いてオオカミを見下ろした。オオカミはつーんと顔をそらして私に擦り寄ってきた。少し硬めの真っ黒な毛が肌に当たる。
「あのー……この子はいったい……」
「え?あ、あっ!失礼いたしました!お見苦しいところをお見せしてしまって!」
「いえ、いいんですけど……オオカミなんですか?」
「はい……一ヶ月ぐらい前に山からこの屋敷に迷い混んでしまったんです。どこから入ったのかはわからないんですけど、ここに住み着いてしまって……」
「じゃあ、こいつは飼ってるのか?」
「いいえ……飼っているというか、たまに遊びに来るって感じなんです。旦那様や奥様は大層可愛がっておりますので、自由にさせているんです。普段はどこにいるのか誰も知りません」
「へえ……オオカミなんて初めて見た」
先輩がその頭を撫でようとしたら、オオカミは避けて私の後ろに隠れた。先輩も呆気に取られていたけど、なるほど、と納得した。
「犬やオオカミは上下関係が厳しいんだ。どうやら、俺たちは下に見られたらしい。ミクだけはなぜか上のようだが」
「え……」
私は腰ぐらいの高さもあるオオカミの背中を撫でた。拒否されずにそのまま頭まで手を滑らせると、手を舐められた。くすぐったくて手を引っこ抜くと、なんで?とでも言うかのようにキラキラと見上げられた。
仕方ないなあ、と思って思いっきり両手で撫で回すとお腹を見せてきた。私は可愛くてしょうがなくなってそのままじゃれる。
「オオカミが腹を見せるときは服従心を表すときだ。相当気に入られたようだな」
「えっと、私はどうしたら……」
「おまえは爺ちゃんたちにこのことを伝えてこい。今からそちらに向かうとも伝えてくれ」
「しょ、承知いたしました!」
メイドさんはそう叫ぶとあたふたと走って行ってしまった。まだ成り立てで慣れていないのか、靴で足元が若干ぐらついている。
危なっかしいなあ……と私が苦笑いで見送っていると、ヤト君が私を後ろから追いたてた。
「さっさと行くぞノロマ。もう案内するところはない」
「あ、うん……」
私たちが歩き出すと、オオカミもついて来た。ええっと名前は……
「ウル?」
「わふっ!」
私が名前を口にすると、ウルは元気よく答えた。そのまま飛び付いて来そうな勢いだったから、慌てて手で阻止する。
「わっ!ダメダメ危ないって!」
「きゅ~ん……」
ウルは見るからに寂しそうにしたけど、慰めるために背中を撫でてあげると、嬉しそうに前を走って行った。黒い巨体はそのままどこかに消える。
ヤト君はなんなんだあいつ……とぼやいていた。