Candy of Magic !! 【完】
「ねえ、なんでさっき舌打ちしたの」
私はおずおずとヤト君に聞いてみた。すると、彼は顔をしかめてこちらを向いた。
……そう言えば、じっくりと彼の顔を見たのはこれが初めてだな。
少し青みがかった瞳に、黒いんだけど紺色の光沢をもった少しクセのある髪質。そのクセが彼のクールな…今は不機嫌全開だけど端整な顔立ちにとてもマッチしていた。
うーん……これならユラのみならず女子があんな態度を取るのは頷けるかも。
「おまえ……よく考えろよ」
「返事の内容?」
「違う。もっと筆圧落として書けってこと。提出するときにあんなの見られたらいい笑いもんだ」
「……それは……ごもっとも」
「もう絶対ノート貸さない」
「いや、それはちょっと……困るかな」
「俺をあてにするな。今度はもっと前に座れよ」
「……だって、ゾウで見えないし」
「あいつだって前の席に座ってるやつを正面から覗けるほど身体小さくないだろ。少し考えればわかる」
「……」
……それも確かにごもっともだけど。そうなんだけど……
やっぱり言い方が鋭い。素っ気ない。労りがない。
……私ってそんなに価値がありませんかね?
と、なんだかネガティブになってきた。こいつと話してると自分がまだまだ子供なんだと思い知らされる。
「おい、聞いてるのか」
「聞いてるよちゃんと。聞いてるからこんな───」
「なんだよ、聞こえない」
「なんでもありませんっ」
私はあとの残りの時間はせめてこいつから離れようとそそくさと教科書を捲る。
この歴史の教科書は昔の英雄から始まっている。四人が魔物から世界を救ったという内容だ。これは絵本や小説にもなっていて庶民に親しまれている。だから子供の頃からでも知っている人は多い。
救った後は、英雄たちが建国するのに苦労したということが載っている。それは見習うべきところが多くて目から鱗ものが多い。
だから、歴史を習うということは古来より培ってきた人間の知恵を教わるということでもあって、かなり授業の内容は深くて興味をそそられる。
これからの授業が楽しみだ。
ちょうど建国し終わったところを捲ったところでキーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。ぞろぞろと席を立つ。次の授業は体育。これから教室に戻ってジャージとかを取りに行った後更衣室に直行しなければならない。
時間は10分しかないから急がなければ。
「ミクちゃん急ご!」
「えっ、う、うん……」
ユラがいつの間にか隣に立っていて私を急かした。無意識にヤト君の方を見たけどすでに彼はいなくなっていた。
まったく物音がしなかったからその俊敏さに呆気にとられてしまった。いったいいつ、いなくなったの?
「ほらほら急ごうよ!遅れるって」
「ま、待って待って……」
呆然としていた私の腕をユラがぐいぐいと引っ張りだした。二人で講義室を飛び出す。
教室まで取りに行かないといけないなんてめんどくさいな。ただでさえ時間ないのに。
更衣室で着替えをすませて校庭に出た瞬間、見計らったようにチャイムが鳴り響いた。一年生の最初の方はクラス皆同じ時間割り。成績によってだんだんとわれていくのだ。
例えば、1組と2組の数学のできる生徒は時間割りを合わせて合同授業にするとかね。
……で、改めて先生の前に整列をして礼をした後そのまま直立してしまった。物凄く驚いた。速かった。目で追えなかった。
なんと、頭を上げて体育の先生と向き直ったとき、先生の後ろをかなりの速さで鳥がビュンッと通りすぎたのだ。
その鳥は先生の肩まで舞い戻って来て羽繕いをし始めた。正体はフクロウだった。キョロキョロと首がぐるぐると忙しなく回っている。
……うわっ。今300度ぐらい首回った!
「声を合わせて準備体操するぞー。こいつを基準にして広がれ!」
いかにも熱血みたいな男の先生が大音声で指示を出した。皆は静かに従って間隔を均等に開けるように広がる。
準備体操が終わると、ランニングをすることになった。グラウンドを三周。一周だいたい一キロぐらい……広すぎるよねこの校庭。絶対に広すぎるって。
いきなり三キロはキツいよ。
「ぼさっとしてねーでさっさと走れ!」
なかなか走り出さない生徒に痺れを切らして先生が後ろから怒鳴ってきた。はいっ!と返事を皆で返して走り始める。
イヤだなー走るの。息苦しいし疲れるし喉カラカラになるし。
男子たちはぐんぐんと加速するのに対して、女子はぼちぼち走る。三キロもあるのによくもあんなにスピードを出せるものだ。
今日は暖かいこともあって、じっとりと汗が浮き出てきた。ジャージの袖をぐいっと引き上げる。着るんじゃなかった。暑すぎる。
「三キロは、キツイね」
並んで走っていたユラが話しかけてきた。でも、キツイねと言っているわりにはそこまで顔は疲れていない。
「余裕、そう、だね」
「そう?畑仕事、やってたからかな」
「なる、ほど……置いてっても、いいからね」
「じゃあ、遠慮なく。バイバーイ」
ええっ!潔すぎ!てか速いよユラ!体力あったんだね。ポニーテールがホントに馬の尻尾に見えてくる。
その背中は小さくなっていく。
男子とは半周近く差が出てきてしまった。なんとなく男子の集団を眺める。
ヤト君は……あ、いた。先頭集団に入ってる。
男子にも遅い速いがあって、今や二つの団体ができていた。女子はまばらなのに。
これでも私は女子の中では上ぐらい。ユラはトップへと踊り出ていた。凄いなユラは。
はあはあはあと息を乱していると、ふおっと横を風圧が通りすぎた。もしかして、フクロウかな?
でも振り向く元気はない。スピードも落ちていく。苦しい。
またふおっと風圧を感じた。そして、目の前をフクロウが変幻自在に飛び回る。まさに曲芸。そして、ホバリングの要領で私の横にぴたりとついて飛び始めた。
私に何か訴えるようにじーっと見てくる。なんでこうも私は妖精に見つめられてしまうのだろうか。
フクロウはふっと後退すると、また私の目の前を曲芸飛行で飛び始めた。なんだか楽しそう。風を切って飛んで気持ち良さそうだ。
良いなあ、あんなに気楽に飛べて。私も気楽に走られたらなぁ……
……そっか。そうだよね。イヤだなって思ってたら身体が緊張して走りにくいよね。
もっと肩から力を抜けばいいんだね。今すぐには無理だけど、これからはなるべくリラックスしながら走るよ。
そんなことを思って呼吸を上気させながらも走り続ける。私はいったん考え出すと周りを忘れてしまうクセがどうやらあるようで……いつの間にかあと一周にまで迫っていた。男子はゴールする人が出始めた。あ、ヤト君もゴール。涼しげな顔してるな。疲れてないのかな。
私も頑張らなくちゃ。
あと10メートルというところでラストスパートをかけて私もゴールした。なかなかの好成績。女子の中では中の上ぐらいだった。
ユラがこれまたスッキリしたような顔でへたりこんでいる私に走り寄って来た。
「ミクちゃんお疲れー」
「おつ、かれ……待って、息が……」
「あーダメダメ。座っちゃダメだよ。立ったままの方が息戻りやすいよ」
「……立て、ないや」
「仕方ないなぁ。ほら」
「……ありが、とう」
ユラが手を差し延べてくれた。それに捕まってふらふらと立ち上がる。ふう、と息を吐いてぼーっと立つ。空が高いなぁ……
雲もモクモクと漂っている。そして無意識に誰かいないかと探してしまう。緑のライオンとか、フクロウとか。
そうそう、フクロウも緑だったよ。まさにあの飛び様は風だったな。気持ち良さそうだったし。
なんとなくその姿を探すが見当たらない。なんだ、とガッカリしていると頭に重さを感じた。ズシンと頭が下がる。
慌ててその場から離れて上を見ると、あのフクロウが旋回していた。どうやら頭に乗ったのはあの鳥だったようだ。
……羽休め、じゃないよね?ここにいい止まり木あるじゃん、みたいな。
それはそれでショックだ。
「いいなあ……」
「何が?」
「ええっと……速く走れていいなあって」
「そう?速く走れたって得してるとは限らないと思うな」
空を飛んでいるフクロウが羨ましくなってついつい口走ってしまった。それをユラに聞かれてしまい慌てて話す。本当は走れる、じゃなくて、飛べていいなあっていう意味。
鳥になったら自由になれる気がする。
「速く走れるってことは、身体が頑丈ってことだし」
「頑丈はイヤだよ。筋肉もりもりになんかになりたくないってば」
「ユラはじゅうぶん細いよ……」
「またまたー、お世辞だよそんなの」
いやいやー、細いって。顔も小さいし。こんなすべてにおいて平均みたいな私とは大違い。ああ、でも恋愛偏差値だけは低いんだよねー。
あまり男子にときめきというものを感じられない。だから私にとって色めき立つということは無縁だ。綺麗だなー……で終わり。気をひきたいとまでは思わない。
うーん……干物女なのかな私。
「しばらく休憩にする。このあとは球技大会の練習するからな」
「「球技大会?」」
先生の言葉にユラとハモって反応した。球技大会……種目はなんだろ。というか、もう初日から練習なんだ。先生も張り切ってるな。
「そうか、球技大会はまだそこまで知らないんだな。種目は男女別にわけられている。男はバスケとサッカー。女子はバレーボールとドッジボールだ」
聞き慣れない言葉ばかりが飛んできて混乱する私たち。四つとも知らない単語でちんぷんかんぷんだ。
「……まだ知らなかったのか。言われてもピンとこないのも無理はない。これらはすべて異世界から流れてきた文化だからな。ルールはやっていく内に覚えられるはずだから心配する必要はない。それも兼ねて早々から練習するんだ」
……なるほど。異世界、ね。もしかしたら歴史の教科書に関連した出来事があったのかも。もっと先を読んでおくべきだった。
「えーっと……種目名忘れちゃった。なんだっけ」
「女子はバレーボールとドッジボールっていうやつだよ。男子は忘れた」
「楽しいやつだといいなー」
休憩が終わった後は、ひたすら先生が四つの種目の説明をしてくれた。先生一人だけじゃ再現するのは難しいみたいで、あとでプリントを配ってくれるらしい。それでも多分わからないだろうから、明日はもう一人先生を呼んで実際にやってくれるそうだ。
ということは……覚えることが多いってことだよね。そんなにルールが細かいのかな。
……早く覚えないと出遅れそうだな。ただでさえ平々凡々なんだから。
なんやかんやで授業が終わった。汗がまだシャツにへばりついていて気持ち悪い。脱ぎにくいなまったく。
着替えてもブラウスに汗がついてこれもまた気持ち悪い。汗よ、早くひいてくれ。
「次、なんだっけ」
「確か数学だったはず」
「げっ、数学……あたし苦手」
「そうなの?私は別に特には」
「そっちの方が羨ましい。速く走れたって頭の回転が遅けりゃなんもできないよ」
「うーん……人には得意不得意があるからね。学校はそこを補い合えないのが残念だね。テストでカンニングはアウトだもん」
「カンニングはダメだね。あたしはやる勇気もないな」
「……あ、あと3分しかない」
「嘘でしょ?!講義室までダッシュ!」
「……だから速いって」
着替え終わって教室で雑談していたら時間が迫ってきていることに気づいた。ユラは荷物を持って叫ぶや否や風のように教室を出て行ってしまった。
……その足の速さを私にもわけてほしい。頭の回転の速さなんていくらでもわけてあげるからさ。