Candy of Magic !! 【完】
「先輩……」
私は先輩の部屋の外で呆然と立ち尽くしていた。足元には手のつけられていない昼食……彼はかれこれ三日も食事をしていないのだ。
ドアは閉められたまま。校庭から確認しても窓は閉まっていて、カーテンで中が見えなくなっている。
いったい、どうしてるの……?
泣きたくなるのを堪えて、すっかり冷めてしまっている食事が乗ったトレーを持ち上げる。それほどまでに心に深い傷を負ってしまったんだ……これじゃあ先輩自身の身体がもたないよ……
後ろ髪を引かれる思いで踵を返そうとしたとき、ちらっと先輩のマナが見えた。ぴたっと止まってからくるりと振り返ると、やっぱりそこに座っている。
でも、なんだか様子がおかしい……尻尾はぺたっと床につけられ、頭は項垂れている。いつもならもっと生き生きとしているのに。
犬は少し痩せているように見えた。毛並みもパサパサとしている。
マナと主は一心同体。主が食事を取っていないのだから、それは当たり前なのかもしれない。
しばらく見つめていると、犬はヨロヨロとした足取りで私に近づいて来た。そして、私が帰るのを遮るかのように後ろに座ると、じっと見上げてきた。その瞳は懇願するかのように力強く、そしていつ消えてしまうかもわからないような寂しそうな瞳だった。
何かを訴えているのだろうか。
その真意を探ろうとしていたら、犬はまた歩き出して今度は先輩の部屋の前に座った。そして、ドアに向かって進み、そのままふっと消えてしまった。きっと部屋の中に戻ったのだろう。
もしかして、入れってことなの?でも、鍵が掛かってるはず……
私はトレーを置いて、半信半疑でドアノブを回した。それは呆気なく回り、ガチャっと開かれた。驚きを隠せないまま恐る恐る中を覗くと……
先輩が、石像のようにベッドの上に座っていた。
私は驚きと恐ろしさが入り交じったような感覚に襲われた。鍵が開いていたのに驚き、幽霊のように暗くただ座っている先輩を見つけて総毛立った。
生きてる……よね?
私がそのまま動けずにいると、犬がどこからともなく現れて先輩のだらりと垂れている手の甲を舐めた。膝の上に乗せられている手……でも、その色は目が覚めるほど白かった。
その白さにハッとして、急いで駆け寄った。しゃがんで顔を覗くけど、前髪が邪魔で見えない。
先輩の影が薄く感じられて、私は悲痛な声を上げてしまった。
「先輩っ!先輩っ!」
ゆさゆさと肩を両手で揺すっても反応がない。しかも、手を離したら糸が切れたように身体が傾き始めた。慌てて支えようとしたけど、男子の全体重には女子の私では敵わない。
一緒にどうとベッドに倒れ込んだ。そのおかげで先輩の顔色がよく見えるようになったけど……見て後悔した。
顔色が……あまりにも悪い。微かに息をしている音が聞こえるけど、それは蚊の鳴くような小さな息吹……
取り敢えず死んでいないことにほっとしたけど、私の頬には知らず知らずのうちに生暖かいものが流れていた。
なんで、こんなになるまで放っておいてしまったのだろうか……
力無く閉じられているその瞳。眼鏡は机の上に置きっぱなしだ。それには少し埃が被っていてその時間を示している。
あの元気な姿はどこに消えてしまったのだろうか。体育祭で走っていた姿は?軍服を着て背筋を伸ばしていた姿は?
その面影を感じられなくなって、悲しくなって、守ってあげられなくて、自分が情けなくなって……私は声を上げて泣いた。
どうしてどうしてどうしてどうして……こんなことになってるの……?先輩は何がしたかったの?お父さんの跡を追おうとしたの?
ダメだよ……先輩は生きなくちゃ。先輩にはまだ将来が、未来が、希望があるんだから。
目を背けちゃダメだよ。
私はぎゅっとその白くて冷たい手を両手で包み込んだ。ベッドの上にだらりと投げ出されている手……この手でいくつの作品を作ってきたんですか?この手で素晴らしいものを作っているということを知っていますか?
私はこの手に優しさを感じます。大きさを感じます。先輩を感じます……
だから、帰ってきてください……
祈るように握り締めていると、犬が机のある引き出しを爪で軽く引っ掻いた。それはまるでここを開けろ、と言わんばかりにしつこかったから、私は先輩から離れてその引き出しを開けた。
そこには、指輪がぽつんとあるだけだった。
紫色の石を見つけた瞬間、何かが頭の中で弾けた。これ、知ってる。懐かしい……
私は勝手に動き出した手を止めようとせず、摘ままれた指輪を見つめた。そして、すっと人差し指に指輪を差すと……力がみなぎってくるようだった。じわじわと温かさを感じるその指輪。
自分の中で眠っていた何かと、指輪のその温かさが合わさって……何かが生まれた。その何かはわからないけど、自分はもう違う自分になったのだと確信を得る。
そして、これで先輩を助けられると強く思った。彼を、助けられる。
宝石は紫色の光を鈍く放ちながら熱さを増していた。まるで、私を急かしているように……
私はパッと先輩の手を取り、頬に手を添えた。冷たくなった綺麗な顔……唇の色も気色が悪く荒れていた。私は涙が流れていることも忘れ、先輩に顔を近づけた。
そして、優しく先輩の唇に口づけを落とした。瞼を閉じて、力を分け与えるかのように……
その途端、猛烈な睡魔に襲われてそのまま視界が暗転した。遠くなった意識の中で、ベッドに倒れ込む感触だけは感じられた───