Candy of Magic !! 【完】
それから私たちは、苦労して4階から降りて無事に風呂に浸かることができた。時間が気になって裸を見られる云々の羞恥はあまり感じなかった。ええい、この際気にしていたら負けだ!
お風呂場は結構広くて、シャワーの数もわりと充実していた。でもシャンプーとかは数が少なかったから不便だったけど。使っている人がいたら待たなくちゃいけないし。
脱衣場はもう人でごった返していた。通路は狭くあまり余裕はない。グラマーな人で通れなかったところもあってそのぐらいキツキツ。でも時間は刻々と過ぎているから遠回りをしてなんとか自分の衣類のところに到着。パパパッと着てサササッと髪をドライヤーで乾かしてすぐに出てしまった。
ユラはまだ時間がかかりそうだったから、先に行ってるねと声をかけて廊下に出た。むんむんと蒸し風呂状態だった脱衣場から出られてスッキリした。
首にタオルをかけたまま洗面所に行って歯を磨く。歯を磨いているとき、私は無心状態に近くなって何も考えない。鏡の向こうの自分を眺めながらひたすら歯ブラシをシャコシャコと動かす。
ここはわりと空いていた。皆お風呂に行っていて、歯を磨いたり肌の手入れをしたりしている数人しかいない。さっきまでの芋洗い状態から一変して、静かな時間が流れる。
ぼーっと動かしている自分の手を見ていると、視界の隅を何かが動いた。
妖精……かな?一瞬だったからよくわからなかった。寮内ではまだ一度も見かけていなかったのに。
子供はまだ魔法を把握できていないから、妖精を連れていることはあまりない。というか、可能性はゼロに近いと思う。使いこなせるようにならないと、妖精も不安定で形を留めておけないのだ。
……と、私は思っている。だから、入学式のときは先生たちの妖精がふわふわと空中を泳いだり浮かんだり、宙返りをしたりと自由奔放に神経を荒立ててくれたおかげで、冷や汗をかいてしまった。
あれが皆は見えてないと思うとそら恐ろしく思うこともある。あんなにはっきりと見えるのに、自分しか見えていない。それはまるで、自分だけが普通じゃない、変な人間であると思わざるを得ないからだ。
だって、今も視界の隅をあの赤いネコが悠々と歩いているのが見えている。皆には見えないうたた寝をしていたあのネコが。
ネコはしきりに私の足元にまとわりついてくる。感触は少しだけ感じる。ふわふわとしていて固くはないけど、でも確かにそこにいるということを触って確かめられる。
妖精はどうやら見えている人がわかるらしく、こうやって興味津々といった感じでたまにちょっかいをしてくるのだ。
まるで、ここにいるよ、と存在を強調するかのに。
あまりにもぐるぐると私の足の間を往復するから、かまってほしいのかと思って口を水で濯いで、首にかけてたタオルで口の周りを拭いて洗面所を後にした。
歯ブラシとコップは着替えの入っている手提げに適当に突っ込む。私が歩き出すと、ネコは嬉しそうにピョンピョンと足取り軽やかに前を歩き出した。スキップをしているように見えて、私は思わずクスッと笑みを漏らす。
人間にも感情があるように、妖精にもまた感情がある。それはどうやら主に似るようで、怒りっぽいと気性が荒いし、怖がりだと人見知りが激しい。
ペットは飼い主に似るとはまさにこのことだと私は思っている。
……この子は、かまってちゃんかな。なんとなくそんな気がする。足から離れなかったし、かまってくれると確定したらあんなに嬉しそうにしている。でも周りを気にしてないように見せかけて、誰よりも周りのことを知りたいと思ってる。
入学式のときのうたた寝はきっと狸寝入りで、本当は彼が……えっと、ヤト君だっけ?が気になって仕方なかったんだな。彼に何かを感じ取って近くで見てみたかったんだ。
だって、このネコはヤト君が呼ばれて立ち上がった瞬間ふらっと現れて机の上に居座り、のびをひとつしてうつらうつらと寝始めたんだもん。
だから、このネコは気になったらずっと気になってしまうんだと思ったんだ。まあ、私がそんなこと分析したって意味ないんだけどね。
また考え事をしながらネコについて行っていると、いつの間にか知らないところに来てしまっていた。ここまでの道すら覚えてなくて、何階なのかもわからない。
でも赤いネコはそれでも進んでいる。もしかしたら目的地があるのかもしれない。そして、私をどこかに連れて行きたいのかも。
「ねえ、どこ行くの」
その尻尾を立てている小さな背中に話しかけた。ネコは首だけくるりと私を振り返させて、ニャーと口を動かした。妖精は喋ることができない。
瞳は私を見据えていて、一切ぶれない。
でも、また前に向き直って進み始めた。黙ってついて行けばいいらしい。
このままついて行ったら別世界にたどり着くとかないよね?そんなおとぎ話みたいな展開は望んでないんだけど。
ネコはあるドアの前で止まった。カリカリと爪でドアを引っ掻く真似をする。実際には音はしてないんだけどね。
開けろ、という意味みたいだから、私はおとなしくそのドアを押した。すると、そこからスウッと外界の空気が足元を通り抜けた。どうやらドアの向こうには外に繋がっているようだ。
さらにドアを押して、身体を外に出した。
出た瞬間、頭上を満天の星空が埋め尽くした。キラキラと闇の中で瞬いている星たち。それは川のように集まって夜空に橋を掛けているようだった。
夜空に目を奪われながら少しずつ前に進むと、コツンと爪先に何かが当たった。すぐに下を見て確認すると、なんとそれは人の身体だった。思わず後ずさる。でも暗くて誰なのかよくわからない。
「す、すみません!」
「んっ……?」
慌てて謝罪すると、今まで寝ていたのだろうか、くぐもった低い声が聞こえてきた。まさかの男子。かなり気まずい。
誰なのかわからないその男子はむくりと上半身を起き上がらせて欠伸をひとつした。
……ん?この展開はまさか。学校でも同じような現象があったような。
「ヤト……ヨハンネ?」
「ふぁぁ~……あ?誰だおまえ」
「は?」
ちょいちょいちょい、教室で起こしてあげたのに覚えてないの?ていうか暗くて顔よく見えないんだけど。
ていうか、なんでここにいるわけ?
「聞こえなかったのか?誰だっつったんだ」
「ミク……カーチスだけど」
「ふーん……」
「……」
ふーん……って、そんだけかい!しかもまた寝ようとしてるし!こっちの質問にも答えてもらうからね。
「なんでここにいんの?」
「……別に」
「別に、じゃないから。なんでこんなとこで寝てんのよ風邪ひくじゃん」
「おまえこそ風呂上がりにこんなとこ来たら風邪ひくだろ」
「うっ……」
それはごもっとも。首にかかってるタオルを痛々しく感じる。風が少し冷たいなぁとか思ってたんだ……じゃなくて。上手く誤魔化さないでよ。
「……なんでって聞いてるんだけど」
「じゃあ聞くけど、おまえこそなんで?」
「私は……」
赤いネコについて来ましたとは口が裂けても言えることじゃない。なんて言って誤魔化せばいいんだろ。ここはどうやら屋上みたいだし、気づいたら屋上だった……って言っても信憑性の欠片もない。
そもそも屋上があったことすら知らなかったし。
「なんで黙るわけ?それなら俺を責めるのは筋違いだ」
「違っ……責めてなんかない」
「どうだか。まるで俺がここにいたらまずいみたいな感じがする。いるのといないのとじゃ、いない方が都合が良かったんじゃないの?」
「……まあ、そうかもね」
「ほらな。素直に認めろよ」
まあ、赤いネコと遊びたかったのに彼がいて少し残念に思ったのは事実だけど……なんなんだこの男は。毒舌にもほどがある。自分も他人も気に入らないような口ぶりだ。自分の居場所はどこにもないんだ、みたいな。だから俺が邪魔なんだろ、みたいな。
私が何か言ってやろうと口を開こうとすると、ひょいっとヤト君の影からあのネコが顔を出した。声に出さずに驚く。
そのネコは彼に身体をすり寄せて甘え出した。ほんの僅かに衣擦れの音がする。でも彼は微動だにしない。というよりも、動きが固まったような……まるで、あり得ないこと、あるいはまさに都合の悪いことが起こったような。
……まさかね、そんなわけないよね。彼も見えてるとかないよね。
でも、私はバカ正直だから、ネコを知らずのうちに目で追ってたみたいで……
「おまえ、何見てる」
「え?」
「何見てるんだって聞いてんだよ」
「……じゃあ、何だと思うわけ」
「……」
しばらく私たちは暗闇を通してお互いを見つめあった。探り合うように少しもそらさずに。
「……俺と同じやつを見てると思う」
「同じやつって何よ」
「……」
「あーもうっ!せーので言うわよせーので。色と容姿を言いなさい。絶対に言いなさいよね」
「ああ……」
「……せーの」
「「赤いネコ」」
「「……」」
……嘘でしょ?!