Candy of Magic !! 【完】
「おい、いつまでミクの身体を乗っ取るつもりだ」
地上へと帰還し、さっきよりも暖かい空気に身を委ねていると、先輩が声色を低くしてヴィーナスに尋ねた。ヴィーナスはそんな先輩に振り返る。
「そろそろ、だ。夜明けが来れば私はここを去る。それまでもう二、三時間と言ったところか」
「その指輪、どうすんだ?あいつが持っていていい物なのか?」
俺は紫姫の知識はあまり持ち合わせていない。いくら出生の秘密を知っていて監視しているとはいえ、所詮俺はただの子供だ。世界の均衡のことなんて知ったこっちゃねーな。
ヴィーナスは手のひらで転がしている指輪を眺めた後、先輩へと目を向けた。
「貴様に託そう。チビでは少々物足りん」
「おい、それって信用がってことかよ!」
「わかっているならいちいち口答えするな。うるさいぞ」
「なっ……!」
「……わかった。ミクに何かあったときは、俺がこれを渡せばいいんだな」
「左様。くれぐれも、本人には見せるな。何が起こるかわからんからな。何かの手違いでうっかり本人が手にすれば、力が開花し龍が目覚める可能性もある」
「なあ、その龍ってなんなんだ?マナなのはわかっているが、危険性がよくわかんねぇ」
「何と言われてもな……災厄だとしか言えん。前例が無いのでな……あっても困るが」
「話を聞いている限り、龍は炭酸だ」
「へ?」
炭酸?
先輩の言葉に変な声を出す。炭酸って飲み物の炭酸だよな?それとどう関係があるんだ?
「炭酸には大量の二酸化炭素が入れられている……それは飽和以上の量だということを理解しておけ。その二酸化炭素が無理やりそこに収まっているということは、かなり不安定な状態だ。少しの刺激を受けても、その二酸化炭素は中身から溢れ出す。
つまり、炭酸を龍に、大量の二酸化炭素を『治癒』の力に、刺激を龍の目覚め、中身を封印と置き換えれば……何か見えてこないか?ちなみに、炭酸の場合は缶を振ることが刺激になるな」
「炭酸を振った後に缶を開ければ中身が噴き出す……龍が目覚めた刺激を受けて解かれた封印は、膨大な『治癒』の力を放ってしまい災害になる……」
「なるほど、なかなかやるな色男」
「……色男ではなく、アランだ」
「アラン、か。いい名だ。気に入った」
「ありがとうございます」
なるほど……先輩の説明でよくわかった。でも、ひとつ疑問がある。
「それなら、あいつの力を早く開花させればすべて丸く収まらないか?龍が予期しないときに目覚めるのが一番都合が悪いんだろ?」
「確かにそうなんだが……そう上手くいくと思うか?封印自体曖昧な処置なんだぞ。こやつの成長と共に力も増幅されていくしな。開花させたところで、その膨大な力を最初から使いこなせるわけがない」
「この島の奥地に向かう前、弱音を吐いていたのはどこの誰だったか」
調子を取り戻してきた先輩に痛いところを突かれた。ぐうの音も出ない……確かに、魔法は危険だ。でも、『治癒』の力ってそんなに恐ろしいものなのか?俺の場合は炎だから危ないだけであって……な?
一向に納得しない俺に気分を害したのか、ヴィーナスがうんざりした様子で地面に座った。
「だからチビなんだ貴様は。『治癒』は傷を癒すだけではない。魔法を増強することも可能だ」
「魔法を増強?」
「つまり、『治癒』の力をまともに受ければ魔法が暴走する……だから、マナが言うことを聞かなくなるということだ」
マナが言うことを聞かなくなる……それは、人間が暴走するのではなく、魔法そのものが暴走するということか。マナが従ってこないのなら、人間は魔法を使えなくなり見事に成す術もなくなる。
それは、世界の破滅への道をたどることになる。
「じゃあ、どうやったらその禍を防げるんだよ。今までの話じゃそこまでの意図筋がまったく見えねーよ」
「それは……気の毒だが……」
ヴィーナスは珍しく語尾を濁した。かなり言いづらそうに俺たちを見上げる。なんだかこっちが気の毒に思えてきて先輩と同時に座った。
「はっきり言ってくれ。心の準備はできている」
「そうだぞ、そこを俺たちは知りたいんだ」
「……それは、こやつ次第だ」
「ミク次第?」
「こやつが力に耐え、制御できればそれまで。できなければ……殺すか、殺されるか、だ」
「はあ?!なんだよそれ意味わかんねーよ!」
「近くでキャンキャン喚くな……こやつを殺せばマナも消えて一件落着だ。殺すのを惜しめば……世界は破滅し、人類も滅びる。ひとりの命か、大勢の命か……天秤にかければ天と地ほどの差が出るのは理解できるだろ?どちらを選ぶかは明白だ」
「……くそっ!」
俺が言おうと思った言葉を先輩に先に言われた。先輩は悪態をついた後、拳で地面を叩く。
俺もそうしたいところだけど、あまり感情に身を任せては魔法が周囲を燃やし尽くしてしまうかもしれないから止めておく。でも、奥歯をこれでもかっていうぐらい噛み締めた。拳も握り締めて憤怒を抑える。
我慢しろ、俺!
そんな俺たちを交互に見たヴィーナスは、はあ、とため息を吐いた。
「こればかりは、私にもフリードにもどうにもできん。神も知らない領域だ。それほど均衡は崩れかけているのだからな……龍の目覚めは日を重ねるごとに早まっている。それは理解してくれ……」
「ヴィーナス、今のところの予測はいつ頃なんだ……」
先輩は掠れた声で聞いた。俺も俯かせていた顔をヴィーナスへと向ける。
「次の夏だ。だが、このまま加速すれば、最速で冬の終わり頃、もしくは春ぐらいになる。それまでにこやつの力が開花すると思うか?開花したところで操れると思うか?もはやどの問いも愚問だな」
自嘲気味にヴィーナスは笑った。すべてはあいつ次第。しかもまだ何も知らないこんなやつに……世界の未来は左右されるんだ。
沈みかけていた俺の意識は、あることを思い出したおかげで急上昇した。
「待て、開花の兆候はあったぞ」
「なに?」
「俺が打撲をしたとき、あいつは無意識に治していた。その瞬間を目にしたわけじゃねーが……本人も驚いていたしそれしか原因がなかったから間違いない」
「だが、こうも取れるぞ……目覚めが近くなったという影響を受けてそのときだけは使えた、とな」
「やっぱり、ダメなのか……」
「いや、望みが僅かだがあるんだ。ミクを殺したいのかおまえは」
「そんなわけないじゃないっすか!生きててほしいです……生かしたいです」
「それなら、信じてやるんだな。俺も死んでほしくない」
「……」
先輩の瞳に射抜かれて、俺は負けた……と思った。あいつを前向きに信じることのできる先輩と、すべてにおいて自信がなく信じてやることもできない俺……それこそ天秤にかければ一目瞭然だ。
俺は、いったい何をしているんだ……
浮上した気持ちはまた沈み始めた。さらに、速く。
あいつは、指輪を持っている先輩といた方が安全なのか……?俺じゃ守れないし信じきれてやれないのか……?
そんな俺にヴィーナスは怒ったように言った。
「チビ、うじうじしていても仕方ないぞ。見ているこっちが嫌になる……私に認めてもらおうとは思わないのか?アランは胆が座っているから託したのだ。冷静な判断を下せると確信した。別に貴様が劣っているわけではないんだぞ……貴様には貴様にしかできないこともあろう」
「俺にしか、できないこと……」
「貴様は監視役なのだろう?ならば、真っ先に助けられるのは貴様だけだ。こんな単純なことをわざわざ私に言わせるなチビ!」
……俺は、バカか?アホなのか?いや、両方か。そんなことにも気づけないなんて、やっぱり俺はまだまだ未熟者だな。
あいつに相応しいのは先輩?そんなのはどーでもいい。先輩は先輩、俺は俺。天秤にかける時点で間違っていた。
それぞれに良いところがあるんだ。それを基準にして良し悪しを決めるのは筋違いってもんだ。
俺は、あいつを何がなんでも生かす。そして、望みがなくなったときはこの手で……
俺は手のひらを見つめた後、ぎゅっと握り締めた。望みが無い、なんて思うなよ俺!おまえらしくもない。
いつもの余裕はどこにいったんだよ!先輩の前じゃ牙を向けるのが多々あるが、それは敵対意識があるからだ。ライバルだからだ。俺が劣っていることを認めたくなくてあんなことをしてたんだろ?それなら、認めなくていいんだ。
先輩にはできて、俺にはできないこと。俺にはできて、先輩にはできないこと。
それぞれ、あるんだから。
俺の瞳の光がみるみるうちに燃えてきて、ヴィーナスは満足そうに頷いた。
「男はそうでなくてはな。私の将来の伴侶もあんなことになっていなければ……」
「伴侶?」
「教えるつもりはない。あの男にも良いところがたくさんあったんだ……まあ、私に認められるまで苦労していたようだが」
ヴィーナスはクスクスと思い出し笑いをし出した。その笑いがあまりにも可憐で俺はぽかーんとする。
ヴィーナスは、実はもっと女性らしいんじゃ……
そんな俺の顔を見て、ヴィーナスはわざとらしく咳払いをした。その顔は少し赤くなっている。
「……貴様らに私の素性を明かしはしない。悔しいからな」
「それって肯定してないか?」
「な、なんだ!文句でもあるのか!」
「いや、そんなつんけんどんな態度取らなかったらいいのにって「それ以上言うな!私は帰る!」
「あ、おい!」
顔から本当に火が出るんじゃないかっていうぐらい顔を真っ赤にさせて怒ったヴィーナスは、そう叫ぶや否やあいつの身体からふっと離れた。
というのも、糸が切れたようにその身体が倒れたもんだから俺は慌てて支える。肩に手を置いて慎重に横たえさせると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
そして、太陽が水平線から顔を出し始めていた。まったくタイミングが良すぎる。
でも、俺は無防備なあいつの寝顔に無性にむしゃくしゃとした。
「俺たちは一睡もしてないんだからなー!!」
その叫びは島中にこだまし、響き渡った。俺がゼーハーゼーハーと息を切らしていると、ちょうど先輩の犬が帰って来た。どうやら伝達は上手くいったみたいだ。
……帰ろう。皆のところに。