悠久幻夢嵐(1)-雷の章-a rainy insilence
そう言うと嵩継さんは、朝の外来の準備に慌ただしく移動を始めた。
勇の暮らしていた院長邸に一人で顔を出す勇気はなく、
渋々、仮眠室へと移動した俺は、その中でベッド潜り込みながら
ノーパソを起動する。
ノーパソの中には、患者の身体異常の内容だけでなく
その患者さんの家族関係・お見舞いの人が来た時の状況・悩み事など
僅かな些細な内容も事細かに記載されていて、その隣には情報を知り得た
看護師の名前が記入されていた。
*
3.13
立花さんの娘、心臓移植を終えて美湖ちゃん退院。
【立花さん、手術の同意書にサイン】
7.14
立花さん外出したいと申出。
Dr安田と相談。
7.20
9時 外出・奥さんの墓参り。
14時 戻る。
*
備考欄に、次から次へと
時折顔を出すだけでは、把握しきれない
患者さんの行動が綴られている。
あのクッキーは心臓移植をした美湖さんが、
焼き菓子まで作れるようになった証。
立花さんにとっては嬉しい出来事なのに、
胃癌の手術で、胃を半分以上切除した今、
食べたくても食べられない。
それ故に……嵩継さんや俺に手渡そうとした。
それを俺は義務的に拒絶し、
嵩継さんは、立花さんの意図を組んで受け取って目の前で食べた。
*
かなわないな……。
*
呟きながら、その美湖さんのクッキーを一口。
少し焦げめある苦みあるクッキー。
だけど何故か、優しい味がした。
1時間だけ仮眠した後、嵩継さんの午前の外来に合流して、
そのままラストまで働き終えると、お昼休みは久しぶりに由貴とランチタイム。
病院内の食堂で、昼食を終えた後
由貴と一緒に移動したのは、病院内の教会。
昔から時間があるたびに、由貴が入り浸っていたその場所に
俺も足を踏み入れる。
教会の中に響くのはパイプオルガンの音色と優しい歌声。
生歌ではないようだが、
静かに積み込む温かい空間。
「飛翔、何か私に話したいことはありませんか?」
ステンドグラスを眺めながら、
由貴はゆっくりと俺に話す機会を生み出す。
「なぁ、由貴。
兄貴の忘れ形見、どうしたら俺が守ってやれるかな?
徳力の御神体は雷龍と呼ばれる龍。
兄貴は龍に認められて、龍の力を借りえる存在だった。
兄貴なき今、その龍の力は神威に継承される。
その神威に継承されるまでの僅かな期間、俺が兄貴から託されてる。
御神体の力を継承するまでには、準備が必要で、その修行をアイツは今やってるんだが、
修行がすすめば進むだけ、アイツの存在が遠くなっちまいそうでな」
吐き出すように呟く言葉。