捨て猫にパン
「倉持さんだ…」


一瞬、迷ったけど、耳元で聞こえる倉持さんの声を感じてみたくて。


「…もしもし」


『真琴ちゃん?』


「ハイ…」


『遅くにゴメン。メール見たら、ちゃんと声で無事確かめたくて。電車、乗れたんだ?』


「ハイ。連絡が遅くなってスイマセン。飲み会の後で終電ギリの電車に乗れました」


『時間遅い時は、夜道も危ないよ。呼んでくれれば迎えに行ったのに』


「いえっ!そんなっ。大丈夫です、今日はちゃんと主任が家まで送ってくれたので」


『…主任?』


「ハイ。会社の上司です」


『そっか。1つ質問していい?』


「ハ…ハイ…」


『それっていわゆる“恋人”?』


「え?」


『主任』


「あ…っ!しゅ、主任はただの陣主任でっ!と、特別な人ではありませんっ」


『“陣”ね。ま、いいか。明日、また今日と同じ時間に、朝迎えに行くから。おやすみ、真琴ちゃん』


「あ、ハイッ!おや…すみなさい…」


耳から離して見つめるスマホはいつもの待受画面。


いつもじゃないのは、あたしの右耳。


ほてった右から樹脂のピアスをはずしてテーブルの上に転がした。


早くシャワーを浴びて、って思うのに、無視できない鼓膜のくすぐったさに。


何度も渋い、静かな声をリピートさせた。


“おやすみ、真琴ちゃん”
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