先生がくれた「明日」
カーテンコール
明日、私は結婚する―――
正確には、結婚式を挙げる。
入籍自体は、もう済んでいる。
県庁職員の彼は、結局誰よりも私のことを大切にしてくれて。
歩や、私の家族のこと、それから先生のことも理解してくれたから。
結婚することになった。
でも、その前に私は、どうしても行きたい場所があったから。
有給を取って、車を走らせた。
向かった先は、お寺。
先生と、階段を上って辿り着いたあのお寺。
どうしても、そこに行きたかった。
途中で車を停めて、石段を上る。
あの日、先生は苦しそうに上っていたね。
あの時すでに、病は先生の体を蝕んでいたのだろう。
一番上まで行くと、そこにはいつかの景色が広がっていた。
それは5年前とまったく同じ、綺麗に手入れされた庭園だった。
その姿に、私はどこかほっとする。
あの日と同じように、ゆっくりと目を閉じた。
一瞬、高校時代の切ない思いが、ふっと胸に蘇る。
――先生。
私はあなたと幸せになりたかった。
一緒に生きていきたかった。
でも、運命って不思議だね。
あなたはいなくなってしまったけれど、私。
ちゃんと、幸せになれたよ。
これから、もっともっと幸せになる。
先生が叶えたかった夢を、私が代わりに叶えるから。
だから、どうか安らかにお眠りください―――
「もしもし。」
背後から声を掛けられて、びくっと振り返る。
「お茶でもお上がりになりませんか?」
にこやかに笑うその人を見て、私も微笑みをこぼした。
「あなたに会いに来たんです。」
「私にですか?」
「ええ。幸せになったと伝えたくて。」
「あのときのお方でしたか。」
覚えていてくれなくてもよかった。
ただ、何となく報告したくなったんだ。
それで、はるばるやってきた。
でも、住職さんはなんと、あの日のことを覚えているそうであった。
住職さんは、あの日と同じ8畳間に私を案内してくれる。
そして、熱い緑茶を淹れてくれた。
私の中では、いろんなことがあった5年間。
でも、住職さんはここで、毎日同じことを繰り返していたんだね。
それがどこか不思議で、移ろいゆくこの世と、本当の意味でここが隔絶されていることを実感した。
「あの彼は、もうこの世にはいないでしょう。」
「……ええ。」
やっぱり、この人はすごい。
「あの時のお二人からは、悲愴感が溢れていました。彼は、死に向かうことよりも、あなたを失うことに恐怖していた。」
「そうですか……。」
「そしてあなたも、そんな彼の思いに感付き、葛藤の中にいた。」
「はい。」
住職さんは、にっこりと笑った。
「でも今は、こんなにも幸せそうに笑っていらっしゃる。彼も、天国で喜んでおりましょう。」
「先生は、私の幸せを何よりも願ってくれました。」
気付けば、先生と呼んでしまっていた。
住職さんは、何も驚かずに頷いている。
きっと、そんなことももう分かっていたのだろう。
「住職さんがくださった言葉が、私を救ってくれました。」
「はて、何か言いましたか?」
「"悲しい時は、悲しみに殉ずるのです"」
「ああ。」
住職さんは、納得したように大きく頷く。
「あの言葉があったから、私はきっぱりと悲んで。そして、明日を見据えることが出来ました。」
「明日、ね。」
「そうです。先生は私に、自分の分の明日まで、託してくれたから。」
「だからなのでしょうね。」
「え?」
「あなたの未来は、誰よりも明るく輝いている。二人分の光だから、こんなに強い光を感じるのでしょう。」
その言葉に、心がじんわりと温かくなった。
先生が、私の未来を照らしてくれていること。
それを、強く感じたから。
「本当に、ありがとうございました。」
頭を下げると、住職さんは首を振った。
「あなたに頭が下がるのは、私の方ですよ。」
夏の終わりの庭園は、緑がいっぱいでとても美しい。
またここに、こんな気持ちで戻って来られた自分を、褒めてあげたいと思った。
そして、それは天国で、ずっと見守ってくれている先生のおかげなのだと改めて感じるんだ。
「お気をつけてお帰りになってくださいね。」
「ええ。住職さんも、いつまでもお元気で。」
会釈をし合って別れると、何かとても清々しい気分だった。
大きな仕事を成し遂げた後のような。
私は、足取り軽く石段を降りて行った―――
正確には、結婚式を挙げる。
入籍自体は、もう済んでいる。
県庁職員の彼は、結局誰よりも私のことを大切にしてくれて。
歩や、私の家族のこと、それから先生のことも理解してくれたから。
結婚することになった。
でも、その前に私は、どうしても行きたい場所があったから。
有給を取って、車を走らせた。
向かった先は、お寺。
先生と、階段を上って辿り着いたあのお寺。
どうしても、そこに行きたかった。
途中で車を停めて、石段を上る。
あの日、先生は苦しそうに上っていたね。
あの時すでに、病は先生の体を蝕んでいたのだろう。
一番上まで行くと、そこにはいつかの景色が広がっていた。
それは5年前とまったく同じ、綺麗に手入れされた庭園だった。
その姿に、私はどこかほっとする。
あの日と同じように、ゆっくりと目を閉じた。
一瞬、高校時代の切ない思いが、ふっと胸に蘇る。
――先生。
私はあなたと幸せになりたかった。
一緒に生きていきたかった。
でも、運命って不思議だね。
あなたはいなくなってしまったけれど、私。
ちゃんと、幸せになれたよ。
これから、もっともっと幸せになる。
先生が叶えたかった夢を、私が代わりに叶えるから。
だから、どうか安らかにお眠りください―――
「もしもし。」
背後から声を掛けられて、びくっと振り返る。
「お茶でもお上がりになりませんか?」
にこやかに笑うその人を見て、私も微笑みをこぼした。
「あなたに会いに来たんです。」
「私にですか?」
「ええ。幸せになったと伝えたくて。」
「あのときのお方でしたか。」
覚えていてくれなくてもよかった。
ただ、何となく報告したくなったんだ。
それで、はるばるやってきた。
でも、住職さんはなんと、あの日のことを覚えているそうであった。
住職さんは、あの日と同じ8畳間に私を案内してくれる。
そして、熱い緑茶を淹れてくれた。
私の中では、いろんなことがあった5年間。
でも、住職さんはここで、毎日同じことを繰り返していたんだね。
それがどこか不思議で、移ろいゆくこの世と、本当の意味でここが隔絶されていることを実感した。
「あの彼は、もうこの世にはいないでしょう。」
「……ええ。」
やっぱり、この人はすごい。
「あの時のお二人からは、悲愴感が溢れていました。彼は、死に向かうことよりも、あなたを失うことに恐怖していた。」
「そうですか……。」
「そしてあなたも、そんな彼の思いに感付き、葛藤の中にいた。」
「はい。」
住職さんは、にっこりと笑った。
「でも今は、こんなにも幸せそうに笑っていらっしゃる。彼も、天国で喜んでおりましょう。」
「先生は、私の幸せを何よりも願ってくれました。」
気付けば、先生と呼んでしまっていた。
住職さんは、何も驚かずに頷いている。
きっと、そんなことももう分かっていたのだろう。
「住職さんがくださった言葉が、私を救ってくれました。」
「はて、何か言いましたか?」
「"悲しい時は、悲しみに殉ずるのです"」
「ああ。」
住職さんは、納得したように大きく頷く。
「あの言葉があったから、私はきっぱりと悲んで。そして、明日を見据えることが出来ました。」
「明日、ね。」
「そうです。先生は私に、自分の分の明日まで、託してくれたから。」
「だからなのでしょうね。」
「え?」
「あなたの未来は、誰よりも明るく輝いている。二人分の光だから、こんなに強い光を感じるのでしょう。」
その言葉に、心がじんわりと温かくなった。
先生が、私の未来を照らしてくれていること。
それを、強く感じたから。
「本当に、ありがとうございました。」
頭を下げると、住職さんは首を振った。
「あなたに頭が下がるのは、私の方ですよ。」
夏の終わりの庭園は、緑がいっぱいでとても美しい。
またここに、こんな気持ちで戻って来られた自分を、褒めてあげたいと思った。
そして、それは天国で、ずっと見守ってくれている先生のおかげなのだと改めて感じるんだ。
「お気をつけてお帰りになってくださいね。」
「ええ。住職さんも、いつまでもお元気で。」
会釈をし合って別れると、何かとても清々しい気分だった。
大きな仕事を成し遂げた後のような。
私は、足取り軽く石段を降りて行った―――