先生がくれた「明日」
気が進まないまま、進路資料室の前で立ち止まる。


先生には心から感謝しているし、その気持ちは小さなことでなくなったりしない。

だけど、今日知ったことは、なんだか悔しかった。

初めて、跡部先生が「先生」をしていることが、嫌だと思った。


もちろん、跡部先生は、先生だから私を助けてくれるのだけど。

そうでなかったら、ただのご近所さんで、関わることもなかった。


矛盾に満ちた感情が、ぐるぐると心の中で堂々巡りをする。

ああ、結局私はどうしてこんなに悲しい気持ちでいるのかすら、分からなくなってくる。



その時、ガラッと扉が内側から開いた。



「何してんだ。早く入れ。」


「でも、」


「今日は荷物が多いぞ!ほら、早く。」



先生に背中を押されて、思わず進路資料室に足を踏み入れる。

逃れることの出来ない優しさが、今日はなんだか苦しい―――



「これ。古本屋で揃えたんだ。多分、それほど改訂されてないから大丈夫だろう。」


「え、」


「なんだ。止めるなら今だぞ?」



机に積んである、これでもかという量の参考書。

これを全部頭に入れないと、公務員試験は突破できないらしい……。


でも、それより私が驚いたのは、これをすべて先生が準備してくれたということだった。

いくら古本屋で集めたとはいえ、お金だってかなりかかっただろうし、何よりこれだけの参考書を探すのは容易ではなかっただろうに。



「これ、先生が?」


「ああ。」


「私に?」


「うん。……いいか、誰にでもこんなことすると思うなよ。」



先生は、参考書の山に手を置きながら、真っ直ぐに私を見つめた。

遠慮がちに視線を交えると、先生は安心したように微笑む。



「俺は、先生だから。だから、生徒には等しく接しないといけない。……だけど、お前が前に言ってただろ?」


「え?」



きょとん、と首を傾げると、先生は笑った。



「……教師と生徒の前に、私たちご近所さんじゃないですか。」


「あ、」



思い出した。

歩が、跡部先生と遊びたがっていたとき。

歩きながら、私は確か、そんなことを言ったんだっけ。



「ご近所さんは、放っておけない。」


「先生……。」


「俺は、”お前に”公務員試験に受かってほしい。……ただ、それだけだ。」



胸につかえていたものが、半分くらいすっとなくなった気がした。

もう半分は、消えるまでにはもう少し、時間がかかりそうだけど。



「今日は送る。この荷物を一度に運ぶのは、車じゃなきゃ無理だからな。」


「ありがとう、先生。」



やっとちゃんと言うと、先生は口元を緩めながら首を振った。

変な態度を取ってしまったことを、心の中で謝る。

言葉にすると、上手く言えない気がしたから。

ましてや、あの子のことを告げ口しようなんて、そんな気にもなれなかった。



「莉子、そっち持て。エレベーターで降りよう。」



大きな段ボール箱を、先生と両端を支えながら持ち上げる。

そのまま、ゆっくり運んでエレベーターに乗り込んだ。



「あ、すみません。」


「どうも。」



上の階から下りてきたエレベーターには、数学の先生が乗っていた。



「重そうですね。」


「ああ、そうですよ。ちょっと、社会科の備品をね、運ぶのを手伝ってもらっていて。」


「はあ、そうですか。」



跡部先生の苦し紛れの言い訳に、なんだか吹き出しそうになってしまった。

エレベーターを降りて、あんまり人の通らない廊下に差し掛かって、ひとしきり笑った。

先生も笑いながら、



「バカだなあ。せっかく言い訳してるのに、お前さっきも笑ってただろ。」


「さっきは堪えてたよ。」


「堪えられてなかったぞ。目が笑ってた。」


「そんなことないってば!」



下らないことで笑える、こんな小さな日常が。

私にとって、かけがえのない幸せだった。


そのことに気付くのは、もう少し後だけれど―――
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