先生がくれた「明日」
「莉子ちゃん、だよね。」


「はい。」


「オーナーの坂井です。よろしく。」


「よろしくお願いします。」



頭を下げると、オーナーはにこっと笑った。

会ってから、初めて見た笑顔。

だけど、目は笑っていなかった。



「莉子ちゃん、どうしてこのお店に?」


「えと、素敵なお店だな、と思って。ここで働いてみたくなったからです。」


「莉子ちゃんさ、高校生だよね。」



動揺して、短く息を吸った。

ああ、ここもダメなら、また他の場所探さなくちゃならない。



「……はい。」


「高校でバイトは禁止されてないの?」



返事につまった私を、見透かしたような目で見るオーナー。

ああ、この人は誤魔化せない。

優しそうな物腰と、にこやかな笑顔は、この人の仮面でしかない。

その奥に潜む冷たいものを、垣間見た気がした。



「いや、いいんだ。何か事情があるんだね。……それより、ひとつ提案があるんだけど。」


「……はい。」



何だか、危険な香りがした。

聞くのが怖いような、そんな気もしていた。



「時給、890円だよね。」


「はい。」


「この値段、上げてみない?」


「え?」


「時給2,000円にしてあげる。」



私は、口を噤んだ。

時給2,000円のバイトなんて、どこを探したって見つかるわけはない。

こんなにいい条件、絶対にない。

ましてや、出来る限り短時間で、お金を稼ぎたい私としては―――



「何を、するんですか?」



怖かった。

喉がからからになっていくのが、自分でもわかった。

オーナーが入れてくれた紅茶を、ストローで一口飲む。



「何をすると思う?」



挑発するような目で、私を見る坂井さん。

その視線に耐え切れずに、私は視線を落とす。



「分かりません。」



オーナーは、突然私の隣に座った。

しなやかな、黒猫みたいだと思った。



「スパイ。」


「えっ、」



やっぱり。

危ない香りがすごくする。



「駅周辺に、ここ以外に10か所の喫茶店がある。それらに通って、レシピを聞いてきてほしい。すでにメニューは把握済みだ。ここに、その中でも一番知りたいものを控えてある。1か所につきひとつのメニューだ。」


「……。」


「どう?やってくれる?」



私は悩んだ。

こんなこと、やっていいことだとは思わない。

だけど、それだけで時給2,000円というのは魅力的だった。



「何時間かけたっていいんだよ。君が申告してくれれば、俺は信じる。結果を出してくれればそれでいい。」


「でも、」


「大丈夫。可愛い莉子ちゃんならできるよ。」



甘い声でそんなことを囁いて、オーナーは私の髪を撫でた。

一瞬にして鳥肌が立って、私は小さく震えた―――

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