先生がくれた「明日」
莉子へ


君がこの手紙を読んでいるということは、俺は無事に天国に行けたんだな。

俺は、莉子が一生懸命『明日』を探している姿を、その部屋でずっと見ていたよ。


何から書いたらいいんだろう。

俺は生きているうちには、君に隠し事ばかりしていたから。

この手紙の中くらいは、素直になるよ。

こんな我が儘な俺を、許してほしい。


まず、俺が一番伝えたかったこと。

結局、最後まで、お前に言ってやれなかった。

言えば、お前を余計に苦しめることになると思ったんだ。

莉子、俺はお前が好きだった。

歳も離れているし、教師と生徒だし。

だけど、そんなことは問題だと思えないほどに、君を愛していた。


いつからだろうな。

それははっきりとは分からないけど、君より先に好きになった自信はある。

だって俺は、君が向かいに住んでいることをずっと前から知っていたから。

そして、ずっと気にしていた。

電気がいつまでも消えないことも、君がやけに遅くなってから帰ってくることも。

最初は、教師としてだったんだ。

しかし、段々そうではないことに気付いた。

君に、近付きたかった。


それで、俺は君の働いているスーパーに行って、わざとそこで君の列に並んだ。

君は案の定、俺を見て怯えた顔をした。

だけど、俺はそこまでして君が働く理由が知りたくて、バイトを辞めさせた。

それなのにお前は、ノラ猫みたいに俺の手から逃げてしまった。

俺は、君を守ってやりたかったのに。

結局、やっていることは、感情に任せた自分勝手な行為に過ぎなかったんだ。


だからその後、お前が弟と遊んでくれないかと頼んできたときは、すごく嬉しかった。

お前がやっと、俺を頼ってくれから。

でも、同時に迷った。

このまま君に近づいたら、お互いに救いようのない傷を負ってしまうような気がして。

実際、そうだった。

俺が余計なことをしたせいで、君は新しいバイトで……。


あの夜は、初めて弱い君を見た。

いつも明るく振舞っていて、弱みなんか見せない君が。

ボロボロになって帰ってきたから、俺は途方に暮れた。

自分を責めたよ。

俺のせいで、痛手を負った君のことが、不憫で仕方なくて。

それでも、責任を持つことはできなかった。


そうだ、俺は病気だから。

そうでなければ、お前と歩とともに、これからずっと歩んでいきたかった。

だけど、俺は知っていたんだ。

20代になってから、脳腫瘍を宣告された。

手術できない位置にあるから、症状が出始めたら半年も経たないうちに死ぬと。

死を待つことしかできないと―――

俺は、頭の中に爆弾を抱えていたも同然なんだ。

だから、俺の将来は消えた。

その頃はすでに就職していたけれど、もちろん結婚はしていなかった。

だから、俺は仕事に生きることにした。

結婚したとしても、俺には相手を幸せにすることはできないから。


それで出世して、生徒指導主任になって。

鬼、とか言われて。

俺は元々、ちっともそういう性格じゃないんだ。

分かるだろう?

君といたときだけは、本当の自分を見せていたつもりだから。


そんな時だ。

俺は、もう一生、人を愛することはないと思っていた。

それなのに、君と歩と過ごす時間が積み重なるにつれて。

俺は確かに、君に愛を感じた。

恋よりもっと、確かな愛を、感じてしまったんだ。

そして悪いことに、病気の症状も現れ始めた。

俺の恐れていたことが、同時にふたつも降りかかってきたんだ。


君には話せなかった。

話せばどんなに楽になるだろうか、と思った。

それでも、どうせ死ぬなら。

それまでは君に、普通に接してほしかった。

君は勘付いてしまっていたね。

それでも、俺は君が、何も聞かないでいてくれたのが嬉しかった。

その心に、最後まで甘えてしまった。

ごめんな。


俺は、死ぬ前に君と歩を、幸せにしてやりたかった。

だから、君に勉強を教えて。

県庁職員を目指させた。

そうすれば、君は一生安定した職業が得られる。

歩も養える。

そして何より、そこでいい結婚相手に出会えるだろう。

そして、幸せな家庭を築けると思ったんだ。


俺は、自分の夢をすべて、君に託したかったんだよ。

自分勝手で、独りよがりな俺を、許してほしい。


でも、君が手にすることができなかった温かい家庭を、俺が築けなかった幸せな家庭を、君がその手で築けたら。

どんなにいいだろうって思うんだ。

君のように優しい女の子なら、絶対にできる。

幸せになれるよ、莉子。


最後に、一緒に旅行に行ってくれて嬉しかった。

気付いているかもしれないけれど、あそこは俺の故郷だ。

俺は、海のある街で育ったんだよ。


そして、透子という民宿のおばさんがいただろ?

あの人が、俺の幼馴染であり、初恋の人。

今は旦那と一緒に、民宿を経営している。


俺は、君と初恋をやり直すつもりだった。

俺の記憶の中で、ずっと悲しい記憶のままだったあの花火を。

君なら塗り替えてくれると、そう思ったんだよ。

期待通りだった。

俺はもう、悲しい初恋の記憶をあの世まで持っていかなくていい。

ありがとう、莉子。


線香花火、お前が勝ってくれてよかった。

俺のやつは、まさしく俺の人生みたいに早く落ちてしまったからね。

だけど、見ただろう?

俺の花火は、早く落ちてしまったけれど。

大きな松葉を、次から次へとたくさん、華やかに出していた。

俺は、人生の最後で君に会えて、本当によかった。

あの線香花火みたいに、生きた証のような恋ができて、本当に、よかった。


君が、教えてくれたんだ。

生きることの喜びを。

どうせ死ぬなら、どうでもいいと思って生きてきた。

でも、君に会ってからは、一日でも長く生きたいと思ったんだ。

強く強く、生きたいと願った。

だからこそ、切なくてたまらなかった。

死にたくなかった。

俺は小さな子どもみたいに、その辺を駆けまわって、喚き散らしたかった。

死にたくないって。

君と、莉子と一生を共にしたいって。

これから先、君を守って。

君と幸せな家庭を築きたいって。

その相手が俺だったら、どんなにいいだろうかと―――


でも、そんな願いがあったからこそ、最後のときを精一杯生きられたと思うんだ。

ただ投げやりに命を終えるよりも、かっこ悪く、何かに縋るように死んでいく方が、幸せだったんじゃないだろうか。

だから、俺は胸を張って言える。

俺は、莉子に会えて、幸せだったって。


だけど、最後だけはかっこつけさせてほしい。

これから俺は、歩くことができなくなって、字も書けなくなって、しまいには食べることもできなくなる。

自分で呼吸することすらできなくなる。

そして、段々記憶を失くしていって――――

最後には、君のことも忘れてしまうかもしれない。


そんな俺は見せたくない。

そんな俺を、最後の記憶にしてほしくない。


なあ、せめて、俺を思い出すときは。

笑顔の記憶にしてほしい。

金魚すくいしてるときの顔がいいな。


それに俺は、君を忘れるつもりはない。

この心には、笑顔の君がいつでも棲んでいるから。

忘れてたまるかよ。


莉子、長くなったけど最後に。

幸せになれよ!

俺の分も、明日を生きてほしい。

いつか、大事な人に出会って、幸せになってほしい。


だけど―――


その心の、ほんの片隅でもいいから。

俺のこと、棲まわせておいて。

そうすれば、俺はずっと生き続けることができる。

君の、心の中で。



莉子。


愛しているよ。


俺の、最後の恋を、君に捧げる。


ありがとう。




跡部光春
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