過ちの契る向こうに咲く花は
 エレベーターを降りるとすぐに現れるエントランス。部屋の主がいるかどうかはわからない。鍵は持っているけれど、インターフォンを鳴らすべきかどうか考えてしまう。
 時刻は午後九時。鳴海さんと別れてから、あちこち寄り道して帰ってきた。なにも買ったりはしなかったけれど、雑踏の中ですこし考えたかったんだと思う。
 正直、どちらに帰るべきか迷っていた。うだうだとしながら百貨店や本屋を歩きまわって、最終的に運で決めた。立ち寄ったコンビニで次に入ってくる人間が男なら私の家、女なら伊堂寺さんの家。
 で、伊堂寺家の前にいる。

 すっきりした気持ちになったと思ったのに、実際はなんにもわかっていなかった。今回のことだけで伊堂寺さんを否定するのはおかしい。それは気づいた。
 ただ、だったらどう自分の気持ちの折り合いをつけるべきかはわからなかった。

 たっぷり、三分ぐらい考えていた。
 どちらに帰るとも言っていないし、まだ一応約束の期間内だし、勝手に帰って来られて困るようなら、さっきの時点で鍵は取り上げられているだろう。
 そう判断して、鍵を差し込む。
 なるべく大きな音がするように、力を込めて勢いよく回した。

 もうここまで来たら迷ってもしかたがないと遠慮なくドアも開ける。
 広い玄関、には誰もいなかった。ただ革靴はあった。
 ドアをしめてパンプスを脱ぐと廊下の先にひとの気配がした。
「帰ってきたか」
 視線を上げると伊堂寺さんの顔が目に入る。むかつくぐらい、いつも通りの顔だった。
「遠慮したほうが良かったですか」
 噛みつきたいわけじゃなかったのに、つっけんどんになってしまう。
「いや、かまわん」
 でもそれだって伊堂寺さんにとってはどうってことない。

「飯は」
「食べてきました。連絡とかこなかったんですか」
「連絡? 誰がそんなの寄こす」
「鳴海さんとか、水原さんとか」
 廊下の端と端に立ったまま続く会話。そこで伊堂寺さんの眉がぴくっと動いた。たぶん水原さんの名前にだろう。
「あのな」
 そして急に呆れたような顔になって、右手で髪をくしゃっとかきあげた。
「なにを聞いたか知らんが、別に俺はお前を監視してるわけじゃない」
「手持ちのカードが増えるかもしれないですよ」
「それは最初だけだ」
 さすがに、私の嫌味は伝わったらしい。続くため息に、なぜか私もマイナスな気持ちが生まれてくる。
 
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