過ちの契る向こうに咲く花は
 しばし夢中でそれらを並び替えていると、廊下から足音が聞こえてきた。時間的にも誰かが出勤してきたのだろうと気にせずに続ける。
 ところがそれは男性の皮靴の足音ではないことに気づいた。
 とはいえ、こっちのほうに女性社員は私以外にいない。

 カツカツとした足音がだんだんと近づいてくる。掃除のひとならこんな足音ではない。では一体誰が。そう身構えたとき、部署の入り口にひとりの女性の姿が現れる。
「おはよう」
 にっこりと、そう言われた。
「おはよう、ございます」
 野崎すみれさんだった。

 激しくなるかと思われた脈拍は、異常なほどに冷静だった。むしろ展開に身体も頭もついていかなかったのだろう。
 だけど、そこにいるのは間違いなく野崎すみれさんで、彼女は営業部だから部屋は真反対で、そしてその笑顔がとても良くできた営業スマイルだということはしっかり理解していた。

 並び替えで隙間の空いていたところに、ファイルが雪崩れてゆく。
 出入り口からそう離れていないキャビネット。彼女はそれ以上踏み込んでこなかったし、私が近づくことも拒んでいるような雰囲気を見せていた。

 どうして、彼女がここに来たのだろうか。
 思い当たる理由はひとつだけ。でもそれを自分から口にする勇気はない。
 そもそも、鳴海さんは一体彼女をどうフォローしたのか。
 それに野崎すみれさんは、婚約のことをどう聞いていたのか。
 手持ちのカードがなさ過ぎて、私から何かを言うことはとてもできそうになかった。

「伊堂寺さんと、知り合いだったんだって?」
 どうしようもできずに立ち尽くしていると、野崎すみれさんから直球な質問がやってきた。
「え、ええ。昔、ちょっと」
 確か鳴海さんはそう言っていた、とお茶を濁す。
「恋人?」
「いえ! そういうのじゃなくって、もっと子どもの頃のことで……」
「ふうん」
 どういう知り合いかまでは聞いてもいないし考えてもいない。だけどややこしいのだけは嫌だったから、多少でも男女の関係にはなりえないようにしておく。

 だけど、野崎すみれさんはそんなことに興味はないようだった。
「私ね、婚約破棄されたの。伊堂寺さんに」
 そしてずばり、言いきってしまう。「まあ別に親が勝手に決めたことではあったんだけど」と彼女はつけ加えた。
 対して私はなんとも応えられず、伊堂寺さんって仕事が早いなとかちょっと場違いなことを考えていた。
 そうでもしないと、彼女の雰囲気に押され負けしそうだった。
 
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