過ちの契る向こうに咲く花は
「肝心の野崎すみれだが」
 思いのほか、その名に緊張はしなかった。伊堂寺さんの表情にも困惑したものや緊張のあとは見られない。
「本人に話をする前に、向こうからやってきた」
 彼女も随分と仕事が早いのだな、と思ってしまう。まあ確かに、私のところに来たのも早かった。

「あっさりと嫌味を言われたな。初対面に近い人間にこうもはっきり言ってくる女もめずらしいと思ったぐらいだ」
「それは……さすがというかなんと言うか」
「誠一郎に仕事ができると聞いてはいたが、納得した。あれほどしっかりした物言いをするならば、仕事上はいい付き合いができるだろうな」
 伊堂寺さんのことばにそれ以上なんて返したらいいかはわからなかった。ただ若干、気持ちがもやっとすることに気づく。

「それにお前のことも知っていた。誰かに聞いたとは考えにくいから、自分で気づいたのならそれはそれでいい洞察力だと思っていた」
 ああ、まただ。心のなかにうれしくない感情が芽生える。頭ではわかってはいたものの、やはり私は野崎すみれさんに嫉妬しているのだ。
「ということがあったから、お前も心構えをしておけ、と昨夜伝えようと思ったんだが」
 伊堂寺さんはこの先何を私に言いたいのだろうか。彼女がいかに優れた人物かを確認させたかったのか。そう思っていたところに予想外のことばが続く。
 え? と疑問符のついた私の顔を見て呆れたように笑う。

「あいにく会話を遮られてな」
 そう言われて昨夜の会話を思い出す。思い出さずとも野崎すみれさんの話題が上がったことは覚えていたけれど、どちらかというと記憶は彼女が美人だったという会話のほうが重視されて残っていた。
 顔に血が昇る。
「すみません。その、つい」
 その場の感情にかられてあんなことをしてしまった。とは素直に口にできなかった。理解している感情を口にしてしまうのにはまだ抵抗がある。

「まあそのおかげで既に野崎すみれになにか言われたな、と気づけたわけだ」
 フォローが間に合わずにすまなかった。
 そう伊堂寺さんが言う。

 そのことがなんだかくすぐったくて、同時に恥ずかしくて。
 あんなに自分の都合第一で私を巻き込んだくせにと思うとよけいに駄目で。
 俯いてまばたきを繰り返してしまう。頬が熱い。そんな柄じゃないのに。
 
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