過ちの契る向こうに咲く花は
 眼鏡もヘアゴムも取らない。化粧なおしも特にしない。
 だけどこの数時間だけは、笑って、ふざけて、先輩たちに甘えておける。

 最初はもちろん無理だった。なるべく静かに、でも興味なさげにしてはいけないと、みんなのメニューを聞いたりお酒をお酌したりしていたけれど。
「そんなの、みんな好き勝手にするしいい大人なんだし、気にせず野崎も楽しめ」
 そう角田さんが言ってくれたおかげで、すこしずつ自分のラインを広げていくことができた。

 だから伊堂寺さんも、すこしは気を楽にして楽しめばいいのに。
 おそろしいほど仕事をしているときと一緒のテンションで、人付き合いの良さそうな表情を浮かべて、ボスと静かに話していたりする。
 まあ自宅に帰ったあとのように、無愛想にならないだけいいのかもしれない。

「そういえば野崎って、結局伊堂寺さんとどうなの」
 蛸のマリネを食べていたら、なんの前触れもなく角田さんがそんなことを言ってきた。
「どう、ってなにがですか」
「だってほら、伊堂寺さんの出勤初日にお持ち帰りされてたじゃん」
 お酒の席のせいか、そのずばっとした物言いが気持ちが焦る。
「お持ち帰りって、なんか違う意味に聞こえるからやめてください」
「違くないだろー。で実際はなに? 元カレ?」
 いいえ違います、とお酒で蛸を押し流した。

 ちらっと伊堂寺さんを伺う。ものの特にこちらの話に興味はないようだった。
 聞こえてないわけじゃないだろうに、すこしは助け舟を出してくれてもよくないか。

「小さい頃にちょっと縁があって」
 そういえばこの点については伊堂寺さんとすり合わせてなかったなぁと今更後悔する。
「その割に初対面みたいだったけど」
 水原さんの鋭いつっこみに、急いで頭を回転させる。
「だって、昔のことでしたし。こんな歳になって再会するなんて予想もしてませんでしたから、伊堂寺さんに言われるまで気づきませんでしたよ」
 子どもの頃だったら成長した顔を知らないとか、面影も記憶にうっすらあるだけとかでも許されるだろう。
 興味津々な表情を浮かべる角田さんも水原さんも、その点には疑問を抱かなかったようだ。
 
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