過ちの契る向こうに咲く花は
「なんだろう……今更こんな会社に飛ばされたのがいやになった、とか」
 それはない、気がする。きっかけは婚約者騒動だったかもしれないけれど。
「そんなことはないんじゃないですか」
「でもさあ、親の意向ひとつであっちこっちさせられたら、いやにもなるっしょ。親父さんの経営の駒になってるとかさあ」
「駒」
 水原さんのぐったりした声にはっとする。
「だって伊堂寺家って本社は長男ががっちりついてるらしいけど、次男はあっちこっち都合よく使われてるって噂じゃん」
 そんな噂、知らなかった。というか知らなさ過ぎだろう、と軽い後悔が襲ってくる。

 私はさっき、なんて言っただろう。
 その噂がほんとうかどうかはわからない。だけど婚約者を勝手に用意されて、その婚約者がいる会社にやってきたのは事実だ。
 それを駒かどうかの判断はできない。本人がどう思っているかもわからない。
 だけど、だけどだ。
 私はあまりにも配慮のないことを言ったのではなかろうか。

 途端、身体から血の気が引いていった。かといってどうフォローしていいかもわからない。それこそ火に油を注ぐ結果にだってならないとは言い切れない。

「なあ、お前ほんとうになんとかできない?」
 椅子に深くもたれかかった水原さんが聞いてきた。
「いやむしろ、どうして私ならなんとかできそうと思うんですか」
 なるべく平静を装って答える。
「いやだってさ、伊堂寺さん、お前のこと気に入ってるみたいだし」
 ただそのことばには、思わず「はい?」と返してしまった。しかもすこし裏返った声で。
 だけど水原さんは「なにお前気づいてないの」と言わんばかりに私を責め立てた。
「お前がなかなか帰ってこないの、真っ先に気にしたのは伊堂寺さんだし、まあそのうち戻ってくるだろって構えてた俺たちと違って、あの人は探しに出かけたし」
 この狭い会社で、なにかあるとも思えんだろう。それに女性のあれこれに口出すのも野暮だし。
 そう水原さんは続けて、どうよ、と言った表情を見せる。

 それだけで気に入っていると判断されるのも気が早いと言いたかったものの、確かにわざわざ野崎すみれさんに頼んでまで私を探しにきた事実があった。
 でもそれで気に入ってるか否かと判断しろと言われても。
「それに、歓迎会のときだってなんだかんだでお前のこと見てたしさ」
 それは勘違いじゃなかろうか。私たちの関係を知らなかったからそう見えるだけで。私としてはよく見られていたというより、監視されていたようなイメージしかない。
 
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