その"偶然"を大切に
変わらず私とかぶっている講義には近くに座って参加し、私のためにノートを書く。
それを受け取った私は、思わず「すごい」といってしまった。
講義が終わり、昼休みに入った今、空いている講義室に私はいた。奈美がいないかわりに、樹くんがいる。
樹くんから受け取ったノートは、本当に細かくノートが書かれていた。黒板以外のメモはノートだけではなく、プリントにまである。
今まで私が受けて、自分で書いたノートよりもしっかりとしていて、友人らのノートの中でも一番だろう。
―――――が。
「……凄く近いですね」
「え!あ、うん。このくらい近づかないと見えなくて」
ノート……ルーズリーフとプリントと、私の目との距離は数センチ。
かなり近い。
はたから見るとなんだあれ、となるだろう。だが私が裸眼でちゃんとはっきり見るためには、このくらいまで近寄らなくてはならない。近寄った結果、目との距離が数センチ、となってしまう。
「ごめん、本当に」
「いや、もういいんです。ほら、眼鏡ももう少しだから」
そう。眼鏡ができるまでのこと。
壊してしまった責任から、樹くんは解放される。
「人の顔もそのくらいの距離じゃないとはっきりわからないんでしょうね」
「多分……」
「そっか。じゃあなんというか、まわりが全部おぼろげで怖いんじゃないですか?」
足元とか、人とかだってそう。
今で通ってきたところなら馴れている。いつも話す人なら、その人の雰囲気とかですぐわかる。その他はモザイクがかった社会の中の、色やシルエットなんかを頼りにしつつ過ごしていた。
実は言うと、今までに何度か転びかけている。階段や、ちょっとした段差では本当、気を使う。
「平気ですよ」
「――――あの、敬語、やめにしないか?」
急にそういった樹くんは「話しにくいし」と笑う。確かにちょっと話しにくいが……。しかしこう、何処かに慣れない感じもする。
樹くんはなんというか―――若いのだが、どこか落ち着いていて今時の学生、という感じではなかった。妙に落ち着いている。同い年なはずなのに、年上の大人みたいだった。
だからだろう。
つい敬語混じりになってしまうのは。
それは敬語をやめにしようと言った本人もそうだが、二人して笑ってしまった。難しいよね、だなんていって。
異性とこうして話すなんて、今までにあっただろうか。
多分無かっただろう。
一通り互いに笑ったあと、奈美に「二人ともどうしたの」といわれることになるのだが、私も樹くんもただ笑って「何でもないよ」といった。
何でもないけれど。
それが酷く心地よかった。
* * *