桃の花を溺れるほどに愛してる
「ちょっと、何を言っているのか……」

「やめ……ろ……」


 榊くんがこれ以上、何かを話すのを阻止しなくちゃいけないのに、桃花さんの耳を塞がなくちゃいけないのに、背中に刺さったナイフのせいでもあるけれど、この先の恐怖のことを考えると、身体は思うように動かない。

 動いて、くれない。

 ダメだ。ダメだよ、桃花さん。ダメなんだ。その先を聞いてしまったら、ダメなんだ。その先を聞いてしまったら、あなたは――。


「どうしたの?まさか、覚えていないの?……ああ、そうだった。覚えていないんだった。忘れていたよ、ごめんね」

「え……?」

「や……めろ……」


 桃花さんの困惑した様子を見て、榊くんは不気味にほくそ笑む。


「や、め……」

「だって――」

「やめろぉぉぉおおおっ!!!」


 僕の方にちらりと見た榊くんは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。

 まるで、最初からこうするつもりで話していて、今の僕の様子を見て嘲笑っているかのような……。

 また頭にカッと血がのぼって、この先の“桃花さんを失ってしまうんじゃないか?”という恐怖のせいで、無意識のうちに呼吸が荒くなって、視線が定まらなくなって。

 でも、そんな僕なんてお構いなしの榊くんは、にやりと嘲笑ったまま、その口をゆっくりと開いた。

 そして、言うんだ。



「君、記憶喪失なんだろ?」



 ああ……。

 こんな悪夢なんて、早く醒めてしまえばいいのに。
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